グラインドボーン音楽祭、夏夢の翻案オペラ『妖精女王』〜これがヨーロッパか!これが階級社会か!これがオペラオタクか!

 イギリスの夏の一大フェスティヴァル、グラインドボーンフェスティヴァルに行ってきた。

 と言うとまるでロックフェスにでも行ってきたようだが、これはオペラ祭りである。しかもカミクズヒロイみたいな格好で行っても平気なエディンバラフェスティヴァルとかとは全然違ってカントリーハウスで正装してオペラを楽しむという超ポッシュなお祭り。男はタキシード、女性はドレスだそうだが私はどっちも持ってないので着物で参戦。

 グラインドボーンはルイスの近くにあるクリスティ家所有のカントリーハウスで、ルイスはイースサセックスの観光地として有名な街でもあるのでロンドンヴィクトリア駅から直通電車が一日に何本もある。ルイス駅まで行けばそこからグラインドボーンまでフェスティヴァル客専用の無料バスが出ているのでそれに乗ってオペラハウスに到着。
 カントリーハウスの外観。


 すんごい広い素敵なお庭があるのだが、これ個人の邸宅ね。

 グラインドボーンはオペラオタクのお金持ちが始めた私設オペラハウスのフェスティヴァルで、控除とか他都市にツアーするための公的補助金は受けているみたいだがフェスティヴァル自体はほとんどチケット収入と寄付で賄われているとか。

 オペラオタクすげえ…これがヨーロッパの金持ちの力か…

 あじさい。




 グラインドボーンはピクニックで有名で、開演前と幕間(1時間半もある)は広大なお庭にピクニックセットを出して正装の男女がシャンペンやお食事を楽しむ。


 今すぐミスター・ダーシーが出て来ても驚かないぞ。

 睡蓮の池。


 すぐそばに羊がいる。


 人かと思えば彫刻。

 とりあえず私は社交も苦手だし酒も飲まないしあまりのポッシュぶりにびびって鼻血出そうになったのでベンチに潜んでいたのだが、着物を着ているとどういうわけだかレディとして扱ってもらえていろいろ話しかけてもらえたりするので(しかも民族衣装の正装だと英語があやしくても許されるらしい)、服が人を作るというイギリス階級文化を実感。とにかく追い出されない程度の格好ということで着物を着てきただけなのに絶大な効果にびびった。ただ、イギリスでこういう機会だとキルト(正装)のスコットランド男性が一人くらいはいるはずだと思うんだけど今回はひとりも見かけなかった。スコットランド人は皆エディンバラフェスか…?


 オペラハウスは馬蹄形。音響がとにかくすごくいい。

 オーケストラピット上の脇の席だったせいでチェンバロリュートがよく見えて楽しい。

 バロックオペラなので指揮者はチェンバロで通層低音を出しながら指揮をする。

 で、演目はヘンリー・パーセルシェイクスピアの『夏の夜の夢』に音楽をつけた、シェイクスピア受容史上では大変重要なセミオペラ『妖精女王』(The Fairy Queen)である。グラインドボーンではおなじみの演目でDVDにもなっている。

 で、結論を言うと本当にここまで見に来て良かったと思った。実は博論を書くのでちょっとここ一ヶ月ほど非常に気になっていたことがあってグラインドボーンまで『妖精女王』を見に来たのはそのヒントが欲しいからっていうこともあったのだが、実際にプロダクションを見てみるとその疑問にかなり答えが出た気がしてやっぱり百聞は一見にしかずと…まあ、経験に左右されてしまうという点で研究者にとって実際プロダクションを見るというのは危険でもあるのだが、それでもこれを見たおかげで若干安心して博論を書き進められそうだと思えただけでもめっけもの。

 まずこれはオペラとはいっているが現代の我々が考えるオペラとは全然違う。テキストはシェイクスピアの夏夢ほぼそのまんまで、ただカットして短くしたり若干編集してある。パーセルシェイクスピアのセリフに歌をつけるということは全然やっておらず、そのかわりに各幕に妖精のマスク(歌や踊りのショーみたいなもの)をつけている。マスク自体は本編のストレートプレイにもある結婚のモチーフをより強化するみたいなもので、あまり直接的には本筋に関連してない(明らかに結婚式とかの祝典上演を想定しているもので、どうも初演はウィリアムとメアリの結婚記念日だったようだ)。

 で、まあたぶんこれって楽しい芝居に素敵な歌とダンスと特殊効果までついて何度も美味しい!みたいなもので、とにかく豪華絢爛でまるで何でもかんでものっけた豪華丼みたいで楽しいことには間違いないがはっきりいって鑑賞するにはすごい体力が必要だし胃もたれもする。なんというか、ボリウッド映画をものすごいアッパークラス向けにしたみたいな…シンプルで想像力をかき立てるシェイクスピアのオリジナル版の夏夢に比べるとすごく妖精の力が強調されていて視覚的トリックが多すぎるし、おめでたい気分にあわせてダーティなところ(ヒポリタとシーシアスの微妙な関係とかヘレナの深刻な恋煩いとか)は結構カットされていてちょっとトーンダウンしている気がするのだが、そのかわりに祝祭らしい笑いに重点を置いた演出でストレートプレイのほうはふつうの夏夢として楽しめる。

 まあしかしスゴいのはマスクのほうで、吊り物や奈落をふんだんに使い、豪華な衣装を着た人々がめまぐるしく入退場しては入念に振り付けされたダンスやとにかく美しい歌を披露するので視覚も聴覚ももうこれ以上快楽が入らない!みたいな感じになってしまう。マスクの豪華さはバーレスクにそっくりで、もともと音楽にあるあっけらかんと快楽を軽妙に称える感じをこれでもかと強調しており、異性装ありヌードあり、またまた大量のウサギの着ぐるみ(顔が微笑みになっているところがまたアレ)を着た歌手が出て来てそこらじゅうでやりまくるフリをするなど(お客さん大爆笑)下ネタ満載でこれほんとにオペラか、ロンドンのキャバレーで最近やってるショーじゃないのか、と思ってしまう。17世紀末の人々ってのはここまで快楽を必要としてたんか…と思ってしまった。

 パーセルの音楽は文句なしに素晴らしい。短調でも長調でも自在に笑わせたり泣かせたりできる独特の器用さがあり、感情表現は大変軽妙で率直である(恋人を失った女性の嘆きの歌は本当にストレートに悲しみを表現しているし、快楽讃歌はほんとにあっけらかんとしている)。

 しかし、うちは王政復古期にもとのシェイクスピアの戯曲があまり上演されなくなって翻案が増えたっていうのはいったい何なんだろう、とここ一ヶ月悩んでいたのだが、これを見てやっぱり快楽を増やすことが大事だったんだな、となんか納得してしまった。あと全体的に、たぶんパーセルシェイクスピアのテキストを過激にいじってるとか翻案しているという気がなくて、お祭り騒ぎだから楽しくて最近流行ってることを付け加えよう!みたいな感じでセミオペラ化していたのでは、という気もした(これは前から思っていたのだが、プロダクションを見てそういう考えがいっそう強くなった)。あと、グラインドボーンで見てわかったのだが、こういうマスクつきの翻案っていうのは本当に宮廷とか上流階級の祝祭に上演するためのものなのだ、ということがわかった気がする。しかし、パーセル力で再演された『妖精女王』以外の王政復古期のシェイクスピア翻案は今では全くと言っていいほど上演されることがないと思うのでこのプロダクションはほんと貴重である。こういうものが再演されるということはやっぱりシェイクスピアリアンとして古楽ファンに感謝しないとな…