本村凌二『帝国を魅せる剣闘士―血と汗のローマ社会史』〜エンタテイメントの歴史に興味がある人にはお勧め

 『帝国を魅せる剣闘士―血と汗のローマ社会史』を読んだ。かなり前に知人からお借りして第一部を読んですっかりびびってしまい、しばらく続きを読んでいなかったのだが、やっと読み終わった。

 とりあえず第一部はフィクションである。というと変なようだが、まあ読んでみればわかる。ここは豊富な史料に裏付けられているという点で細かいところがリアルで、そこに現代的な小説のナラティヴがかなりきちんとのっけているので非常に面白い。

 第二部は「研究書編」で、エンタテイメントとしての剣闘士の盛衰をいろいろな一次史料と最新の研究成果からわかりやすくまとめている。剣闘士というと『スパルタカス』や『グラディエーター』の影響もあって残虐な風習だというイメージもあるのであまり「舞台芸術」とは考えないが、ハコのキャパシティ算定とか史料の集め方なんかの手法が演劇史とそっくりで、剣闘士研究っていうのはエンタテイメントの歴史研究の一種なんだな…と強く思った。この時代だと私がやっているエリザベス朝よりもだいぶ史料の残り具合が悪いだろうからショーの再構成というのは困難だろうと思うのだが、それでもかなりよく再構成されていることに古代史の底力を見た。
 
 あと、演劇史をやっている人にとって一番興味深いのは第二部第三章のどうして剣闘士競技が廃れたか、というところである。キリスト教よりもローマの政治体制の変化に原因を求めるというところも面白いが、もっと面白いのはキリスト教は剣闘士が残虐だからということで攻撃していたわけではなく、見せ物はなんでも攻撃していた、というところである。しかも実際に剣闘士がケガをしたり死んだりすることもある剣闘士競技よりも演劇のほうを淫らだとして強く攻撃することも多かったらしい。実際の暴力よりもとくに誰もケガとかしない仕込みである演劇を攻撃しているようではキリスト教徒の態度が他の非キリスト教徒に比べて倫理的であった、などとは全く言えないと思うが、まあこれは現代でも「道徳」を唱える人が陥りがちな陥穽ではある。ヨーロッパの反演劇思想についてはジョナス・バリシュが通史的な分析であるThe Antitheatrical Prejudiceを出版していてこれにはテルトゥリアヌスや古代のキリスト教についての議論も多少あるのだが、剣闘士中心に分析しなおすと「剣闘士競技に対する攻撃より演劇に対する攻撃のほうが激しい」というちょっと違った風景が見えてくる。『帝国を魅せる剣闘士』にはバリシュとか演劇史プロパーの著作はあまり引用されてないようだが、もうちょっとこのあたり舞台芸術と剣闘士競技の比較をたくさんやるとさらに面白いかもとも思った。

 なお、この本についてはにくさんが既に詳しいブログ書評を出しているのでそちらもどうぞ。
オシテオサレテ「古代ローマの剣闘士競技」