ギャリック座にておなじみのミュージカル『シカゴ』〜こ、これが新自由主義の時代のブレヒトか…

 どうもそろそろロンドンでのロングラン公演が終わるらしいので、ギャリック座にておなじみのヒットミュージカル『シカゴ』を見てきた。まあ話と音楽は映画を見てわかるように申し分ないものだと思うので漠然と見ていてもふつうに楽しめるのだが、とりあえず舞台版は非常にブレヒトっぽい演出なのに驚いた。

 まず視覚面で舞台がかなりシンプルでミニマリズム的である。舞台の上にバンドが座る大きな階段式の演奏壇(バンドスタンド)が設置されており、真ん中のピットに指揮者がいて、お客さんは演奏しているところを見ることができる。出演者はこの階段の前で歌ったり踊ったりするのだが、バンドスタンドの真ん中、指揮者ピットの脇にも出入り口があり、階段の両脇以外にここからも入退場できるようになっている。登場人物は全員黒いシンプルな服に身を包んでおり、たまにダンス用のファンとかが出てきたり、照明で変化がつけられたりする以外はほぼ色彩がない。ウェストエンドとは思えない低予算ぶりだが、スタイリッシュであることには違いない。

 で、演出のほうだが、ミュージカルというよりはまるでヴォードヴィルレビューみたいで、登場人物が歌ったり踊ったりする前に狂言回し的なナレーションで紹介が入る。この紹介は映画でもあったが、映画みたいにミュージカルシーンがほとんどロキシーの妄想という設定はない。そういう設定がなくてもこういう形式でわざとらしくなく話が進むのは舞台と映画の違いだなぁ…とつくづく思った。あとまあヴォードヴィルなんで第四の壁はないようなもんで、登場人物とバンドが互いをいじりあったりするなど、異化効果を狙った演出がふんだんにある。そして話は誰一人として共感できそうな人物が出てこない徹底した諷刺コメディで、ほんとにブレヒト新自由主義の時代に生きてたらこんな話を書くかもな、という内容である。異化効果といい音楽の使い方といい本当にブレヒトっぽいし、そしてこんなにブレヒトっぽい話をみんなが笑って愉しく見ているというところがなかなかすごいと思った。

 …で、実は舞台を見て初めて気付いたんだけど、ビリー・フリンってあれひょっとしてゲイ?映画を初めて見た時からママ・モートンレズビアンなのかな、と思ったのだが(たぶんレズビアンなのに女囚たちとは金の取引しかしてなさそうなところがなかなか狡猾な職業人だと思った覚えがある)、ビリーって本人もたぶんイケていて美女に囲まれているのにちっとも女たちの色気に関心を示さないよね。『シカゴ』ってロキシーが母性を全くなんとも思っていなかったり、いろいろなところにちょっとひねった一筋縄ではいかないようなクィア風味があるような気がするのだが、ビリーのなんともいえない人物造形もひょっとしてその一環なのだろうか。
 

 で、私はあまりミュージカルに行かないのだが、『シカゴ』はいつも行ってるストレートプレイとはかなり客層が違うのが面白かった。いつもに比べてあまり芝居慣れしていないお客さんが多くて、隣の夫婦とか夫のほうはよくわからんかったのか途中で寝てたし妻のほうは拍手のタイミングをはかりかねてるみたいだった。たまたま安いチケットが手に入ったので近々『ビリー・エリオット』も見に行くのだが、あっちもこういう芝居慣れしてないお客さんが多いのかな?