ミュージカル版『ビリー・エリオット』(リトル・ダンサー)〜面白いけど映画のほうがいいかも

 ヴィクトリアパレス座でミュージカル版『ビリー・エリオット』を見てきた。

 まあたいていの人はご存じだと思うが、このミュージカルは映画『ビリー・エリオット』(邦題はリトル・ダンサー)の舞台化である。もとの映画は2000年に作られたもので、イギリスでは今でもとても人気のある映画だし、日本でもかなりヒットしたはず(イギリスのことをやっている人はたいてい授業とかで見るよね?)。

 まあ万一知らない人がいると困るので一応あらすじを描いておくと、舞台は1984-85年に北部イングランドサッチャー政権の炭鉱閉鎖政策に対抗して鉱山作業員たちが起こした大規模スト(最終的にはこのストは組合側の敗北で終わる)。父親と兄がストライキで忙しい11歳の少年ビリー(母は亡くなってる)はボクシングを習いに行くつもりがひょんなことからバレエのクラスに入ってしまい、すっかりバレエに見せられてしまう。バレエの先生はビリーの才能を認めてロイヤルバレエスクール受験をすすめるが、勤勉なワーキングクラスで男らしい文化を尊ぶ父と兄はバレエを浮ついた女々しいものだと思っており、ビリーがバレエをすることに大反対する。紆余曲折あってビリーの父は息子の才能を理解するようになるが、そこに今度立ちはだかるのはお金の問題。ストで収入が減ったエリオット家はビリーをロンドンにやって試験を受けさせる交通費すらほとんど出せず、息子を不憫に思ったビリーの父はなんと信念を曲げてスト破りにくっついて鉱山に働きに入るところまで追い詰められる(結局、兄にとめられる)。スト破りはひとまずやめたビリーの父は、周りの鉱山作業員たちから寄付を募り、これでやっとビリーに試験を受けさせることができる。いろいろ紆余曲折あるが、ビリーは試験に合格する。

 ミュージカル版は基本的な話はだいたい映画と同じでちょっとエピソードが増えてる程度の変更。話はもともと面白いし、歌とダンスは申し分ないと思うし、子供が主人公のミュージカルなのにえらい言葉が汚かったり政治諷刺もきつかったり、妥協してないところがいい(というか英語はけっこう北の訛りがすごいし罵り言葉も多くてあまりよくわからなかった…)。とくに映画のスプリットスクリーンやクロスカッティングを舞台に応用した'Solidarity'の場面(バレエの練習と、警官と炭坑ストのメンバーが衝突するところを同じ舞台で描く)の演出とかは大変良かったと思うのだが、あっさりした演出とビリーのダンスの対比がとても利いていた映画版に比べると全体的にちょっとミュージカルとしての華やさが強烈になったぶんそういうメリハリが失われて若干物足りないかもしれない。まあ、映画版はたぶんダンス映画としてもストライキ映画としてもこれ以上ないほどよくできた映画なのでちょっとハードルが高いからしょうがないか…あと映画版はエピローグ(大人になったビリーがマシュー・ボーンの『白鳥の湖』で主演をつとめる)が強烈なのだが、舞台ではあれができないからちょっと厳しい。

↓これが映画版のエピローグ。ビリー・エリオットは大きくなるとなんとアダム・クーパーになったのだ。

ミュージカル版の音楽はエルトン・ジョンが担当しているのだが、この映画に惚れ込んで二週間くらいで音楽を書き上げたらしい。ビリーとマイケル(ビリーのゲイの親友)が女の子の服を着て踊りまくる場面のキャンプテイストな音楽と狂った色彩感覚とかはすごいエルトン・ジョンの趣味だなぁと思って見ていた(この場面は好みがありそうだが私はかなり好きだった)。

 あと、当たり前だがこのミュージカルは猛烈に反サッチャー的で、もとの映画にはなかったサッチャーを皮肉る結構長いシークエンスが付け加えられている。しかし、ウェストエンドのロングランミュージカルで毎日以前の首相の政策をバカにしまくる歌が歌われてそれにお客さんが喝采しているロンドンというのはなんだかんだでいい街かもしれない。