これは翻訳されるべき。Henry Jenkins, Convergence Culture

 序論と結論だけ読んでずーっとほっといていたHenry Jenkins, Convergence Culture: Where Old and New Media Collide(New York University Press, 2006)をやっと通読・読み直した。

 とりあえずこれはファン研究の本としては同じ著者の作品で今年新版も出るTextual Poachers: Television Fans and Participatory Cultureと並んで必読書である。

 Convergence Cultureというのはかなりとらえにくい概念だと思うのだが、ジェンキンズがブログで簡明にまとめてくれているのでそれを引用する。

Welcome to Convergence Culture
'By convergence, I mean the flow of content across multiple media platforms, the cooperation between multiple media industries, and the migratory behavior of media audiences who would go almost anywhere in search of the kinds of entertainment experiences they wanted.'

「コンヴァージェンス(収斂)という言葉で私が意味しているものは、複数のメディアプラットフォームをまたぐコンテンツの流れ、複数のメディア企業の協力、そして自分が欲しいと思うエンターテイメントの経験を求めてほとんどどこにでも向かっていくメディアの観客たちのの遊走的ふるまいである」(拙訳、convergenceとmigratoryの訳語には議論の余地があるような気がするが「収斂」「遊走」と訳してみた。原著2ページにもっと詳しい説明あり)

 つまり、コンヴァージェンスというのは本、とかテレビ、とかいうあるジャンルのメディアにとどまらず、娯楽コンテンツが多数ジャンルにまたがって経験されるような状況のことだろうと思う。ハリー・ポッターを読む人は映画も見るし、ネットでオンラインコミュニティを作ったりファンビデオを作ったり魔法関係のゲームもしたりする、とかそういうことだ。この本はテレビ番組『サヴァイヴァー』、ハリー・ポッターマトリックススター・ウォーズなど、ひとつのコミュニティにとどまらず、かつゲーム・テレビ・映画・本などジャンルについても横断的にかなり色々なファンコミュニティを地道に調査し、その結果から現在のメディアにおけるConvergenceの様子を解き明かそうとしている。

 私がヘンリー・ジェンキンズがすごい研究者だと思うのは、いろんなジャンルのメディアをかなり地道に拾い、わからないところは直接ファンにきくとか専門家の文献を読むとかして割合ベタに調査しつつ、現在の観客参加型ファンダムの全体像みたいなものを読者にわかるよう提示しようとする努力がけっこうどの本にもあるところである。それプラス、観客参加型のファンダムについて非常に楽観的な見通しを持っているところも理念として好きだ。あと、そういうファンダムの全体像を特定の理論で説明することを拒否しているところも私は研究者の誠実さの表れなのではないかと思う。こういうファンダム研究はブルデューとかフーコーとかいくらでもフレンチセオリーを導入できると思うのだが、ジェンキンズはかなり泥臭い実地調査によってファンの活動を正確かつわかりやすく記述することに留意していて、理論を天下りさせてファンの多面的な活動を単純なモデルで説明することを好んでないと思う。別にそういうセオリーの導入が悪いというわけではないのだが、そういうのは地面をはいずるようにデータを集めて文化史をやる人の仕事じゃない、っていう感じかな。

 まあそういうわけで、私はConvergence CultureとTextual Poachersは日本語に翻訳されるべきだと思ってるんだけど(ローレンス・レッシグとかに賛同している人、ファンや観客を研究している人は読んでおいて損はない本)、どっか翻訳しないのかな…