『モルフィ公爵夫人』における母の声の使用〜Marion A. Wells, '"Full of Rapture": Maternal Vocality and Melancholy in Webster's Duchess of Malfi'

 id:nikubetaさんに頼まれてMarion A. Wells, '"Full of Rapture": Maternal Vocality and Melancholy in Webster's Duchess of Malfi', in Manfred Horstmanshoff, Helen King, Claus ZittelBlood, ed., Sweat and Tears: The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe (Brill, 2012), pp. 685-711を読んだ。

 基本的にはジョン・ウェブスターの『モルフィ公爵夫人』(あらすじはこちら)において、ヒロインであり母であるモルフィ公爵夫人の声がどのように'a passionate disturbance of the mind'(「激情的な心の乱れ」とでも訳すのかな。p. 704)を引き起こしているかを当時の医学的知見などから分析する論文である。初期近代には妊娠している母が食べたものとか体温とか思ったこととかがいろいろ生まれる子供の心身に影響を及ぼすという考えがあり、こういう妊娠した母が子供に及ぼす影響というのは基本、四体液説に基づく体液の影響とは無関係に大きな力を及ぼすものとして考えられていたらしい。食べることと妊娠することの連想で口と子宮は強欲な器官として関連づけられることが多いそうで(p. 689)、とくに『モルフィ公爵夫人』などの芝居においては妊娠による子供の心身への影響と母の発声による子供への影響が互いに密接に結びついたモチーフとして登場する。家父長制的・ミソジニー的な秩序に基づく世界では母たる女性の影響力というのは不吉で恐ろしく排除されるべきもであるのだが、息子が自分を生んだ母の影響を否定できないのと同様、母親の発する声が男たちに及ぼす力というのは強烈で、とくに『モルフィ公爵夫人』においては公爵夫人の声(とくに叫びとか死んだ後に夫人の墓所からきこえるこだまとか)が'a very material threat to the masculine world'「男性的な世界に対する非常に具体的な脅威」(p. 703)として描かれて、この声をきっかけにアントニオが鼻血を出したりボゾラがメランコリーに陥ったりする。

 こういう妊娠と女の発声を同系列のモチーフとして処理するというのは演出指針としてはかなり有効性のあるものだと思うのだが、いくつか疑問点もある。まず、これは私がともかく演出上有効なイメジャリーの操作とかに関心があるからなのかもしれないが、結論あたりに持ってこられている「こういう母の声によるメランコリーの誘発は伝統的な四体液説から離れていく過程の反映」みたいな話はちょっととってつけたように感じてしまった。あと、細かいところだが母が子供に及ぼす影響のところで出産した母じゃなく乳母の授乳に関する引用をあげているところとか(p. 698)、当時の慣習を考えると貴人の子供に授乳するのは実母じゃなく乳母が多いと思うしなんかもうちょっと文脈にあいそうな実母と子の関係に関する引用はなかったのか、と思ってしまった。あと、モルフィ公爵夫人の雄弁についての議論ではチョーサーの『公爵夫人の書』とかにもかなり似た表現があるはずで、もうちょっと文学的コンヴェンションとしての女性の雄弁礼賛に触れて議論を広い文脈に位置づけたほうがいいのかもしれんという気がしたのだがこれは私の気のせいかも(p. 700)。それから口や子宮を含めた人体の開口部とそこから流れ出すもののタブー視についてはメアリ・ダグラスから始まる文化人類学での膨大な研究蓄積があるはずなので、そっちに話を開いてもよかったかもしれない。

 あと、この論文は結構とっつきにくかったりすることもあるかもしれないのだが、関心としてはRuth SalvaggioのEnlightened Absence: Neoclassical Configurations of the Feminine(U of Illinois P, 1988)とか、あと何を隠そう私が書いたコレとも若干近いかもしれない。

関連エントリ:オシテオサレテに掲載された同書収録の論文レビュー
「ラルフ・カドワースにおける知性を欠く形成力 Stanciu, "The Sleeping Musician"」
「母なる月が与える冷 Bidwell-Steiner, "Metabolisms of the Soul"」
「天より来たる自然 Freudenthal, "The Medieval Astrologization of the Aristotelian Cosmos"」