パトリシア・ピアス『シェイクスピア贋作事件』〜本筋はともかく、それ以外の細かいところでケアレスミス多数

 Patricia Pierce, The Great Shakespeare Fraud: The Strange, True Story of William-Henry Ireland (Sutton, 2004)を読んだ。これは『シェイクスピア贋作事件』として邦訳も出ているらしい。
 

 内容は18世紀の一大シェイクスピア贋作事件であるウィリアム・ヘンリー・アイアランドシェイクスピア関連文書+戯曲でっちあげ事件を追ったもので、この本筋じたいは面白い本である。アイアランドがでっちあげた各種文書(シェイクスピアやそのパトロンたちの自筆文書など)は今見るとそこらの大学院生でも気付きそうなくらい文書の綴りやら日付が怪しいものが多いのだが、学術データベースも一次史料集もなく、学術的なシェイクスピア研究が始まったばかりの時代だったのでこの程度のものでもみんなひっかかってしまったらしい。一般読者ばかりではなく、リチャード・ブリンズリー・シェリダンみたいなプロの舞台人もコロっと騙されたとか。ちなみに、どうでもいいのだがこの人のせいで学術データベースとかでIreland Shakespeareで検索すると贋作事件の論文ばっかりひっかかってアイルランドにおけるシェイクピア受容とかの論文が上に来ないということが起こっていて個人的には非常に不便なのだが、まあそれはいい。
 
 しかしながらこの本は本筋とは関係ない細かいところに結構間違いが多くて困る。一番ひどいのは1769年のシェイクスピア・ジュビリー(ストラットフォード・アポン・エイヴォンで初めて行われた大規模なシェイクスピア祭り)の日付が間違っていることで、ピアスは祭りが1769年9月5日の水曜日に始まったと書いているのだが(p.7)、1769年の9月5日は火曜日で、実際にこの祭りが始まったのは翌日の1769年9月6日水曜日である。これを証明する当時のプログラムの一部がChristian Deelman, The Great Shakespeare Jubilee (Joseph, 1964)に複製されてるので一応あげておく(p. 192)。

 で、たぶんこの日付のミスはDeelmanとかJohanne Magdalene Stochholm, Garrick’s Folly: The Shakespeare Jubilee of 1769 at Stratford and Drury Lane (Methuen, 1964)を読まずにMartha Winburn England, Garrick’s Jubilee (Ohio State University Press, 1964)から間違った日付を引き写してきたことにあると思われる。マーサ・ウィンバーン・イングランドの本は有用な情報もあるのだが今と違ってネットとかないので暦の換算を間違えたのか日付に関してお祭りは9月5日開始だと述べており(p. 43)、全体的に昔の歴史研究書らしくレファレンスがかなり曖昧なので情報が信用できないところも多い。例えばイングランドは有名な歴史家のキャサリン・マコーレーが祭りに出席した、と書いているが、マコーレーはこの時病気だったのでたぶんドタキャンした(Bridget Hill,The Republican Virago: The Life and Times of Catharine Macaulay, Historian, p. 23。一次史料はThe London Chronicle, October 10-12, 1769)。ピアスも文学史の学者ではないもんでレファレンスがちょっと曖昧で注とか少ないのだが、たぶんイングランドがネタ本だと思う(この間軽く紹介したVanessa Cunninghamの本とかには正しい日付が書いてある)。

 しかしピアスのこの情報をもとに誰かが英語版ウィキペディアに間違った日付を書いて拡散させたので、一応私が直しておいた。こういうふうに誰も悪気がなくても誤情報がウィキペディアを通して広まってしまうのは困る。ウィキペディアに昔のことを書くときは、できるだけジャーナリストや小説家じゃなくアカデミックな研究者の本を参照して書いて下さい!

 あと、ピアスの本はp. 87あたりの17世紀戯曲本の出版事情についてもちょっと単純化しすぎな気がするのだが、まあ一般書ならこれくらい単純化していてもしょうがないか…本論は面白いんだけどねぇ…