ホクストンホール『復讐者の悲劇』〜イギリス・ルネサンス演劇きっての残虐猛毒ゴア描写ホラー、でもこの上演はカットしすぎ

 19世紀のミュージックホールを修復した劇場、ホクストンホールで『復讐者の悲劇』を見てきた。これは17世紀初めの復讐悲劇の代表作で、おそらくトマス・ミドルトンの作だろうと言われている(シリル・ターナー作だという説もあるが、ミドルトン説のほうが有力)。

 この芝居はまあとにかく笑っちゃうほど残虐かつ複雑な話である。とりあえず以下にあらすじを書くのだが、長いしまるで冗談としか思えないような内容なので、いらない人は飛ばして下さい。


 舞台はルネサンス期のイタリアのどこかの街。目下この街は公爵の後妻である公爵夫人の末っ子の連れ子(つまり公爵の実子ではない)をめぐるスキャンダルで話題沸騰している。この末っ子は名門の家長であるアントニオ卿の妻イザベラを強姦したため裁判にかけられているのだが、公爵夫人が夫に掛け合って死刑を免れるよう画策しているのである(あとでイザベラがショックで死んでしまったことがわかる)。
 主人公である良家の次男ヴィンディスは自分の恋人を殺した好色な公爵に恨みを募らせており(公爵はセクハラを拒んだヴィンディスの恋人を毒殺し、またヴィンディスの一家を冷遇していた)、兄であるヒッポリトと協力して復讐を計画する。まずヴィンディスは女衒に変装して公爵の嫡男ルスリオーソに近づきその信頼を得る。ルスリオーソはヴィンディスの素性を知らないまま、ヴィンディスの妹であるカスティーザを自分の愛人になるよう口説いて欲しいと頼む。ヴィンディスは女衒のふりをしてカスティーザと自分の母であるグラシアーナをくどくが、カスティーザは求愛をはねつけたもののグラシアーナは金に目がくらんで娘が求愛を受け入れるよう説得すると約束してしまう(後に母は息子2人から大目玉を食らい、母娘は和解)。
 妹の決意に喜び、母のだらしなさには失望するヴィンディスであったが、ルスリオーソの興味をとりあえず妹からそらすため、公爵夫人が公爵の庶子であるスピューリオ(つまり公爵夫人の義理の息子)と不倫していることをルスリオーソに教える。怒って公爵夫人の寝所にのりこんだルスリオーソだが、なんとその時公爵夫人の相手をしていたのは庶子のほうじゃなく夫である公爵であったため、謀反と間違われて逮捕される。嫡男である兄の失脚を企む公爵夫人の上の連れ子、アンビシオーソとスパーヴァキュオ(劇中ではあまり名前を呼ばないので発音は自信ない)はルスリオーソを死刑にするよう監獄に通知を送るが、ルスリオーソはタッチの差で釈放されてしまい、刑務官たちは「公爵の息子」の処刑令状を連れ子のほうに関する命令だと思って連れ子を処刑してしまう。
 一方、ヴィンディスは好色な公爵を罠にかけ、女性との逢い引きを手配するフリをして殺された恋人の骸骨に毒を仕込んで女の服を着せたものを準備。公爵はこれを相手の女と思ってキスしたため毒がまわり、さらにヴィンディスとヒッポリトは公爵の舌を引っこ抜くなどいろいろな暴行を加え、公爵は死亡。
 公爵が死んだのでルスリオーソが新公爵になり、まずは公爵夫人を追放する。ところがルスリオーソの公爵就任の祝宴でヴィンディスとヒッポリトは新公爵を暗殺。アンビシオーソとスパーヴァキュオは公爵位の継承権をめぐって差し違えて死んでしまう。アントニオ卿が現れ街の支配権を受け継ぐことになるが、さてさてアントニオにはひとつ疑問があった。「どうやって公爵は死んだの?」ヴィンディスとヒッポリトが「我々が殺した」と答えると、この2人のおかげで治安もおさまり街の支配者になれたくせに、アントニオは感謝もせず激怒して2人の処刑を命じる。これでお芝居は終わり。


 …いや、ここまで書いてて「ネタか?」と思う皆さんのお気持ちはよくわかるし自分でもいったいこの話が何なのかはよくわからないのだが、まあとりあえずこういう話である。死んだ彼女の骸骨に毒を仕込み、女性の服を着せて公爵にキスさせることで毒殺する、という殺害方法は血まみれグチャグチャのゴア描写や突飛な毒殺などが多いジャコビアン悲劇の中でもとくに独創的な発想である。映画『エリザベス』で女王の侍女が毒入りドレスで暗殺される場面があって、たぶんあれを見た今のお客さんはずいぶんとっぴな殺害方法だと思うだろうって気がするのだが、骸骨に毒を仕込む芝居を見ていたイギリス・ルネサンスの人にとってはまあなんてことない、通常運転である。

 で、この残虐ゴアゴア猛毒ジャコビアン悲劇はあらすじだけ聞くとえらいシュールだが、舞台でやると凝ったセリフで人の業を暴き出しつつ暴力描写でお客さんも飽きさせない非常に効果的な演目であるはずである。若干筋がとっちらかりすぎて回収されてないところもあるものの、最後のシニカルな終わり方なんかは非常に個性的で余韻が深く、傑作と言えると思う。

 ところが、このホクストンホールの上演はあまりこの戯曲のブラックユーモアを引き出せていない。まず一番ダメなのはカットが多すぎてしかもヘタなところだと思う。話がとっちらかりすぎなのをどうにかして二時間以内におさめるため、後半のヴィンディスが女衒の変装をやめてヴィンディス自身としてルスリオーソに出仕するあたりはカットしており、これはまあいい…と思うのだが、アンビシオーソたちが兄貴を死刑にしようとし、それがバレて…という兄弟のバカぶりを笑うドタバタ劇風味のシークエンスが全部カットしてあるので笑いが少なくなってしまっている上、最後いきなりアンビシオーソたちが殺し合うところで「あれなんでこいつらこんなにバカなの」みたいになってしまってあまりよくない。

 機材の使い方もかなりイマイチである。最初に小さいテレビスクリーンを使ってそこにイザベラのレイプを連想させる映像をうつしたりするのだが、私の経験では小さい劇場で小さいテレビ画面を使う演目というのはたいてい失敗する(この間のマジでひどかった『トロイラスとクレシダ』とか)。この演目もテレビが小さすぎてそもそもよく見えなかったり、あまり効果をあげているようには思えなかった。ボイスオーバーはサザーク座の『チェンジリング』をヒントにしてるんじゃないかと思うのだが、もともと傍白が多くて心理スリラー風な『チェンジリング』ですらかろうじてまあなんとか…という感じだったのに、もっとけれん味のある『復讐者の悲劇』でこういう手法が通用するのか非常に疑問。あと、これは単純な問題だが、スポットライトの使い方が変、というかあて方によって客席方向が異常にまぶしくなりほとんど見えなくなったり、一方でうまいこと役者にスポットがあたらず表情が見えにくくなったりしている。

 まあそういうわけであまり上演自体面白いと思えなかったところもあるのだが、最悪なのは隣の席が学校遠足の生徒たちだったこと。中学生くらいの少年少女たちで、校外学習でハイテンションである上ほとんどお芝居を見慣れていないらしく、ブラックユーモアっぽい場面で盛大に噴いたり(私はたいして面白いと思わなかった場面でも!)、あと人が死ぬ場面が出てくるたびにびびって叫び声をあげたりしており、全く落ち着いて見れなかった。いくら古典だからって、こんなゴア芝居に生徒引率で来ないほうがいいよ…

 なお、『復讐者の悲劇』は『リベンジャーズ・トラジディ』という名前でアレックス・コックスが映画化している。意欲的だが低予算の欠点をカバーできなかった感じの映画だが、カットの仕方とかは全然今回のプロダクションよりいい。

 戯曲の翻訳ももちろん出ている。著者はターナーってことになっているけど。


 おまけ:ホクストンストリートの写真。以前行った時とは違う角度で。

 おお。