民族、ドラッグ、ロックンロール〜ショーン・キャンベル『アイルランドの血、イングランドの心:イングランドの第二世代アイルランド系ミュージシャンたち』(Irish Blood, English Heart: Second Generation Irish Musicians in England)

 この間のアイリッシュスタディーズセミナーですごく面白い話をしていたショーン・キャンベルの新著Irish Blood, English Heart: Second Generation Irish Musicians in England(Cork University Press, 2011)を読んだ。

 話の内容はだいたいこちらの講演と同じで、あれは本一冊全部をはしょって話してたのか…とびっくり。内容は三章構成で、イングランドに移民したアイリッシュ第二世代のロックミュージシャンのアイデンティティと芸術性の絡みを扱うというもので、、第一章はデキシーズミッドナイト・ランナーズ、第二章はポーグズ、第三章がスミス。

 とりあえず面白いのはとにかくアイルランド系のロックミュージシャンは酒とどう付き合うかが大変だ、っていう話である。デキシーズミッドナイト・ランナーズはかなり禁欲的で酒飲んだりしなかったらしいのだが、ポーグズは鯨飲バンドだった。それでアイルランド系のロックバンドがひたすら酔っぱらってるっていうのはアイリッシュ=酔っぱらい(Drunkard Paddy)というイングランドにおけるネガティヴなステレオタイプにハマってしまうという点で悪影響があるわけだが、一方で酔いどれの快楽主義は禁欲的なブリティッシュナショナリズムに対するアンチテーゼとしても機能する。この点についてはこの間のジョナサン・リース=マイヤーズの美しい肉体についての話でも出ていたのだが、まあこればかりはちょっと下戸の私にはわからん世界である。なぜなら金曜の夜のブリテン諸島人(とくにコーケイジアン。アジア系って遺伝の関係や文化的理由でそこまで飲まない人も多い)は下戸のアジア人からすると民族にかかわらず全員とんでもねえ酔っぱらいに見えるからだ(←なんかもうとにかく飲酒文化が違いすぎる。ヨーロッパでは「旅行先で泥酔するイギリス人」っていうのが休暇の風物詩らしいのだが…)。

 ただ、この本は結構読みにくいところもある。とりあえずいろんな文章の原文をきちんと引用しないで「あんたたちわかるでしょ」みたいな書き方が多いのは非常に良くない(ある程度アイリッシュロックを聞いてる人しかターゲットにしてない書き方だと思う)。

 あとこれも私が日本育ちだからかもしれんが、キャンベルの「アイリッシュ性」の判断基準が全然わからん。キャンベルによるとビートルズ(移民三世)はアイリッシュのルーツを隠してないらしいのだが、ボーイ・ジョージエルヴィス・コステロダスティ・スプリングフィールドアイリッシュぽくないらしい…だけど(3人とも本名はまるでアイリッシュ)、コステロとダスティはともかく(ダスティも微妙だと思うけど)ボーイ・ジョージの『タブー』はかなり明白にオスカー・ワイルドリスペクトがあってすごくアイリッシュな話だったぞ。それにボーイ・ジョージの芸名がああなのはたぶんアイリッシュルーツを隠すとかそういう問題じゃなく、ドラァグだよね?

 で、この本について一番疑問なのは、このエントリのタイトルにもあるように民族の話があらゆるセックス(というかジェンダーとかクィアとかセクシュアリティとか性にまつわるテーマ系全部)の話を押しのけてしまっているということである(酒の話がごっそりあるのでドラッグはカバーしてる)。デキシーズミッドナイト・ランナーズのあたりは若干禁欲とかセックスの議論があってそこは面白かったのだが、とりあえずポーグズの話あたりから「なんでそこでマスキュリニティの話にいかないんだ」っていうとこが結構あって、とりあえずスミスに至ってほとんどセックスの話なしでスミスを語るっていうのがすげーなと思った。私はモリッシーが大嫌いなのだが、モリッシーがセックスの話をしたらそれについて分析しなくちゃいけないし、モリッシーがセックスの話をしない時はなんでモリッシーがセックスの話をしないのが分析しなければいけない、モリッシーと言うのはそういう存在ではないのですか!!ちなみに女性ミュージシャンは一切扱ってないし、グラムの要素についてもほとんど議論がないと思うので、たぶん著者はそっち系に疎いのだろうと思う。