現在・過去・未来とショービジネスの現実〜『オペラ座の怪人』

 ハーマジェスティ座で『オペラ座の怪人』を見てきた。言わずとしれた大ロングラン作品なのだが、いつでも見れると思うと意外と行かないもんである。小学生の時に大叔母にすすめられて劇団四季のを見に行った覚えがあるのだが、それ以来。

 で、ギリギリに箱に入ったらなんか前から三列目の席に無料でアップグレードしてもらえて(ギリギリに入ると結構無料アップグレードしてもらえることが多いので私はけっこうそれを狙ってる)、指揮者の頭が目の前にあるし、シャンデリアが落ちてくるところはまるで私の波平的頭髪(ちょっと静電気で髪が立ってた)の逆毛をこするかと思うくらい近くをシャンデリアが通過するし、クリスティンとラウルに嫉妬する怪人のモノローグ(舞台の額縁の上にかけてある装飾に仕掛けがついていて、これに乗って怪人が下がってくる)は頭のほぼ真上だったし、えらい臨場感だった。これはやっぱり近くで見るとすごい。

 それで、お話のほうなのだが、アンドリュー・ロイド・ウェーバー貴族院の保守党議員でかつ芸術予算カットに大反対しているということが私の頭にあったため、かなり英国政治に還元した見方をしてしまってこれはこれでよくない気がしたのだがまあ個人的には楽しめた。とりあえず、第一部を見ている時は、オペラ座をずっと見守っている怪人はなんだかよくわからないけど敬意を払わなければいけない芸術的伝統みたいなものを象徴していて、そういうのをないがしろにして伝統を変えようとするとシャンデリアが落ちてきたりとかえらいことになりますよ、という英国的保守主義の話なんだろう、と思って見ていた。日本語で「怪人」というとなんかけっこう具体的だが英語の原題はPhantomで、この言葉は幻影、幽霊、妄想みたいなもうちょっと具体性に欠けるものを表せる表現で、なんかそういう「得体の知れないものだがみんながなんとなく信じているもの」という意味で過去の伝統とかそういうものに通じるんじゃないか、と思ったのである。

 しかしながら第二部になるとこのファントムが描く音楽がえらい新しいということがわかって、「実は過去こそ未来だった」みたいな話になってくる。芝居がかったオーソドックスなプリマのカーロッタを首にしてナチュラリスティックなスタイルのクリスティンをプリマにしたいというのも音楽的革新の意志の表れだと思う。しかしながらこの過去の伝統でありかつ未来を予言する存在として芸術の理想を象徴するファントムは、現在を象徴し今の芸術を紡いでいくべき存在である若い恋人たち、クリスティンとラウルに道を譲らなければいけない(しかしながら仮面だけが残ってファントムが消える最後の演出からわかるように、伝統への配慮と未来へのヴィジョンというのは常にショービジネスにおいて前面に出なくても存在し続けるものでなければならない)。なんていうかこれって芸術において過去と未来を見据えながらどうやって今ここでパフォーマンスを作っていくかっていう、ショービジネスの現実の覚悟みたいなものを象徴的に表現している話なんじゃないだろうか。

 まあここまで深読みしなくても、この作品はロンドンで見ると本当に「ショービジネスとは何か」ということを自然と考えさせられざるを得ない作品である。ハーマジェスティ座の近くにはイングリッシュナショナルオペラやロイヤルオペラがあるわけだが、そういうところでやってるハイカルチャーのオペラも見に行くロンドンのお客さんにとっては、冒頭で怪人が引き起こすドタバタ騒ぎは「ハイカルチャーのオペラもウェストエンドのもうちょっと庶民的なミュージカルも、実は舞台裏はこんな感じでごっちゃまぜなんですよ!」というメッセージを与えるものとして読み取られるだろうと思う。あと、洋の東西を問わず、人気商売でかつスピリチュアルな表現とかを重視する役者や歌手は迷信深いことも多く、ファントムみたいなものの存在を許容するというかかえって面白がっているところがあるんじゃないかという気もする。

 まあそんなわけでいろいろ深読みしてしまったのだが、こういうふうにショービジネスについて考えてしまったのはとにかく演出が巧みで今ここにいるお客さんをまるで19世紀のオペラ座のお客さんみたいに扱ってすんなり舞台に巻き込んでいく技術が非常に高い作品である、ということが一因としてある。額縁とオーケストラピットまで全部舞台と見なしてすぐその近くから客席を配置し、例えば登場人物が実際の指揮者に楽譜を見せて指示を出したりするような演出をしたり、またまたファントムがあらわれるかもしれないので警備を配置する場面ではオーケストラピットの周りに警備員に扮した役者を配置してお客さんに小道具の銃を向けたり、劇中劇でトラブルが発生すると登場人物がうちらお客さんをオペラ座の客に見立てて謝ったり、過激な客いじりなしに客を舞台に参加させる工夫が非常に多い。こういうのはほんと、さすがウェストエンドだなぁ…と思ってしまう。