イタリアスモールツアー(4)アカデミア美術館、そしてなぜ人類はミケランジェロのダヴィデの股間に注目しなければならないのかについて

 このエントリは若干へんな内容を扱っているのだが、まあとりあえずフィレンツェではウフィツィ美術館を見た後アカデミア美術館にいってきた。おめあてはもちろんミケランジェロダヴィデ。撮影禁止だったのでこれはウィキペディアからとってきたもの。

 一応、ヴェッキオ宮前のレプリカの写真をどうぞ。

 このダヴィデ像、とにかくデカい。下からだと全体像が把握できないくらいデカい。うち、手に持ってるやつはなんか蛇だと思ったんだけど投石機だそうな。とりあえず下からだと手で持ってるものがうまく確認できないくらいデカい。そしてめちゃめちゃ均整が取れていて美しく、ダヴィデがいったい何をした人なのかよくわからなくてもこの人がすごい人であることがわかる。彫刻はあまり興味がないのだが、こんだけデカくてよくできたものを見せられると本当にびっくりした。

 …で、実は私は既にこの頃にはイタリア二日目にして既に憂鬱になっていた。イタリアに行くといつもそう思うのだが、イタリアの宮殿や大聖堂や芸術品は何もかも大きくて美しいのに自分は小さい。このアカデミア美術館にあるミケランジェロの才能の結晶は下から見上げるだけでは把握できないくらいスケールが大きくて完璧に美しいのに、それにびっくりしている人間は皆とてもちっぽけでくだらない。自然の造作どころか過去の人間が作ったものすら理解することができないくらい頭も悪いし鈍重だ。ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』で、イタリアにやってきた若いドロシアがあまりのすごさに大ショックを受けるところがあるが、イタリアは人間を小さくする。実に憂鬱な場所だ。

 しかしながらフィレンツェ市民もさるもの。何もかもが美しくて大きいイタリアを生き抜く方法をよく心得ていた。

 フィレンツェのみやげもの屋さんにはこういうふざけたハガキなんかがいっぱいある。最初はフィレンツェすげーな、ゲイタウンとしての計り知れないポテンシャルがあるな、と思っていたのだが、だんだんこういうダヴィデの股間ハガキは絶対的に必要なのだ、と思うようになった。
 なんといってもミケランジェロダヴィデは大きくて美しいが、股間にぶらさがっている男性器(a.k.a.チンコ)はちいちゃくてカッコ悪い。男性器があまりにもカッコ悪くなりすぎないようミケランジェロは割礼を描くのをやめたという説もあるらしいが、割礼してなくても十分カッコ悪い。足も顔立ちも肩もまぶしいばかりに美しいのになんだこのちんちろりんのぶらんぶらんは。これから投石機で巨人と戦わなければいけないということで全身に闘志が漲っているのに、股間だけは縮こまってすげー身体運動する際に動きにくそうではないか。ここをやられればいかに強く美しいダヴィデといえども悶絶死だ。
 この完璧なダヴィデのちんちろりんがハガキやらオモシログッズとしてフィレンツェ中に流布していることは、いかに大きく美しく完璧に見えるものであろうと弱点とか笑えるところがあるのだ、という人生のすばらしい真実を示していると思う。ミドルマーチのドロシアはローマで大ショックを受けてしまったが、とりあえずフィレンツェでこのぶらぶらりんを見て笑うべきだったと思う。フィレンツェのみやげ者やさんの、どんなに偉大なものでも矮小化してしまう笑いのセンスに感謝せねばならない。そしてこのダヴィデのぶらぶらチンコは、どんな完璧なものにも必ず弱点があるということを示しているという点で、ミケランジェロが人類にくれたとても素晴らしい贈り物なのである。