アン・リー怖い!作家性のない監督の業の深さに震撼〜『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(少しネタバレあり)

 『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』を見てきた。吹き替えも3Dも苦手なのだが、それしか上映やってなかったのでしょうがなく…


 で、一言で言うとめちゃめちゃ怖かった。たいていのホラー映画よりは怖かったと思うのだが、なんで怖いかってたぶんあの主人公のパイ・パテルは監督のアン・リーの分身で、この映画はなんでもできるが作家性がちょっと薄い職人監督アン・リーの業の深さみたいなものを非常にあからさまに出してきている話だと思うからである。これはフィクションを語ることについての映画なのである。


 で、とりあえずアン・リーっていう監督は大変優秀だと思うのだが実は作家性っていうのがあまりない監督だと思う。恋愛ものから戦争映画までなんでも撮って、だいたいは平均より上のクオリティに仕上げてくる。キレイな映像とか家族関係の細やかな描写とかはけっこうどの作品にもあると思うのだが、たとえばタランティーノとかスコセッシみたいに「あ、またこれ出てきた!」っていう特徴的な表現技法とかこだわりとかがあまりないと思うのである。しかしながらそういう点では例えばミュージカルだろうがホラーだろうがなんでも面白く撮れた往年のロバート・ワイズとかに近い気がするので、そういうところでハリウッドで好かれるっていうのはあるのかも(アン・リーもワイズも二回アカデミー監督賞をとってる)。


 しかしながら『ライフ・オブ・パイ』はアン・リーにはどうして作家性がないのか、っていう理由が明らかにされていて、その意味ではベストセラーの映画化でCGを多様したスケールのでかい話なのに実はすごく個人的だと思う。最後の最後で、一見温厚な紳士ふうだったパテルが実はすごく信用できない語り手であったということを自ら暴露してしまうのだが、そこで今までものすごい映像をつぎこんで描いてきた本編の話は実は完全にウソかもしれなくて、現実ははるかに暗くて映画にはなかなかならなそうな話だったかも…という可能性が出てくる。さらにはこの本編の話と裏話の何と何がパラレルなのか、という象徴関係までねたばらしされてしまう。私はこれを見た瞬間、「あ、アン・リーってきっと人生のすごい暗い細部をいつも美しい話に語り変えてる(あるいは騙り変えてる)のであって、毎回作る映画の作風が違うのは目の前の現実からできるだけ映像を切り離すためなんじゃないのか…」と思ってしまい、どんな映画も面白く撮るプロのクリエイターの業の深さみたいなものを感じてぞぉっとした。私はこういう「監督自身の映画製作に対する態度の表明」として見ることができる映画は割合好きなのだが、「いつもヘンな監督が実はナイスガイだった」ということがありありとわかるティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』とかに比べるとこの映画は「いつも常識人な監督が実は怖かった」というオチになると思うので結構ショッキング度が高いと思う(しかし、アン・リーがこれでアカデミー賞とったってことはこの業の深さみたいなものは映画を作る人たちにかなり共有されてんのか、ひょっとして?)。

 まあそういうわけでこの映画は最後の10分でホラーになったわけだが、別にそんなに深読みしなくても映像を見ているだけでキレイである(すごく抽象的で反リアリズム的なキレイを追求しているからこそオチが「監督…いつもこういうことしてるんですか?」みたいで余計怖いのだが)。ただ、製作チームは実は技術革新自体にはそこまで重点を置いてないんじゃないかっていう気もした。波のCGは『タイタニック』とかだろうし(『スカイフォール』のアヴァンタイトルにもちょっと似てるかも)、魚は『ファイティング・ニモ』だろうし、動物のCGは『ナルニア』だろうし、この映画自体で刷新されたCG技術っていうのはあるのかな?組み合わせとか色調、光のセンスとかはすごいなと思ったんだけど、実はそこまでCG技術の新しさとかはこの映画の中心的課題ではなく、反リアリズム的な風景を撮りたいっていうコンセプトが先にある気がしたんだけど。

 あと、これを機に海難映画史みたいなのをまとめるといいと思うんだけど、なんかそういうリストとか作ってる詳しい方はいませんかね…?