黄金の心を持った不良というストックキャラクターについて

 突然だが、本日は私が去年の夏からずっと考えていた「黄金の心を持った不良」というストックキャラクターについて簡単なまとめを作成してみたい。


 まず前提として、芝居・映画・小説のストックキャラクターで「黄金の心を持った娼婦」っていうのがある。売春その他のセックスワークをやってる女性だけどすごく優しいとか慈悲深いとか優れた美徳を持っている女性のキャラクターのことで、古くはマグダラのマリアに遡ると言われている…のだが、聖母であり娼婦ということで男性の性的幻想を一人で全部体現したようなスーパーキャラクターであるのでフェミニスト批評的には非常に批判されているし、はっきり言って「こんなヤツいねーだろ」みたいな陳腐でどーしようもないキャラクターであることも多い(けっこういろいろヴァリエーションあるのでピンキリだけど)。代表例としては『椿姫』のマルグリット/ヴィオレッタ、『哀愁』のマイラ、『スイート・チャリティ』のチャリティ、『プリティ・ウーマン』のヴィヴィアン(これはちょっと変わり種かな)、『ムーラン・ルージュ』のサティーン(これはほとんどパロディだと思うが)、最近だと『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』のジェイドとかである。


 …で、これの男版というのがたぶんある。なんというかこのへん非常に性的ファンタジーが非対称なもんで「黄金の心を持ったジゴロ」とかにはならないのだが、女性に人気のあるストックキャラクターで「不良」(bad boy)っていうのがあって、うちが考えるにこの不良が黄金の心を持っているキャラというのが文学とか舞台、映画の歴史にはたくさんいてとても人気がある。ふつう'bad boy'というとなんかもうソシオパスみたいなやつで、最初はセクシーでもだんだん他の女に目移りしたり暴力を振るったりなどし始め、結局ヒロインと結ばれなかったりすることも多いと思うし(カリスマソシオパスのドン・ジョバンニから『高慢と偏見』のウィカムみたいにソフトなのまでいろいろヴァリエーションがある)、そこまでおかしいヤツじゃなくても相当浮気性かつ危険な生活を送っていてあまり一人の相手と継続的に交際しないので一般的な恋愛ものの主人公にはなれないこともあるのだが(古くは『田舎女房』のホーナー、今だと不良男子代表のジェームズ・ボンドとか『トーチウッド』のキャプテン・ジャック・ハークネス)、黄金の心を持った不良(bad boy with a heart of gold)はなんてったって黄金の心を持っていて(=つっぱってても実は女性に優しい)しかも不良(ワイルド!セクシー!)なので、女性の性的ファンタジーを非常に満たしてくれるキャラクターなわけであって、ラブコメでヒロインと結ばれるには最適のキャラクターである。「黄金の心を持った娼婦」が性的スティグマを負わされている一方で「黄金の心を持った不良」はそういうわけではないことが多いのだが、ヒロインの家族や友人の反対などがもれなく障害としてついてくることがある。


 それでこの「黄金の心を持った不良」の条件なのだが、便宜的に以下のように定義したい。


(1)世間の道徳的にあまり評判のよくない行為に従事している。好色である、やたらケンカする、酒や賭博が大好き、暴走族だ、実は殺し屋である、など。ただし、このあたりの「評判のよくない行為」は伝統的に「男らしい」とされている行為の過剰な発現と見なされるものに限る(「鉄道模型に金を使いすぎている」とか「哲学の研究にかまけて人付き合いしない」とかは世間的に評判あまりよくないと思うけど、伝統的な「男性性」の発露ではないと思うので違うストックキャラクターになる)。

(2)すごく優しい。具体的には、自分より弱いと思われる相手には暴力を絶対振るわない(女、子ども、病人とか)、好きな相手の前では気を使う、実はママにピンクのキャデラックをプレゼントしてる、など。

(3)頭が良くて機転が利く(たぶん身体的に強いとかよりこっちが重要)。困った時に切り抜けられる機転を持っている。おばかちゃんだと黄金の心を持った不良はつとまらない。


 で、この定義を満たした「黄金の心を持った不良」はさらに二つのサブカテゴリに分けられる。

 タイプI 階級が高い(不良化した貴公子)
 タイプII 階級が低い(ワイルドなワーキングクラス)


 で、下に私が思いつく限りで「黄金の心を持った不良」キャラクターをリストアップしてみる。IとIIは上のタイプ分けによる。


・ミラベル(タイプI、ウィリアム・コングリーヴ『世の習い』、1700)
 「黄金の心を持った不良」キャラが大衆文化に台頭してくるのはこのへんの時期ではないかと私はにらんでいるのだが、ミラベルは王政復古喜劇の他のrakeキャラと比べてロマンチックだと思う。


・チャールズ・サーフェス(タイプI、シェリダン『悪口学校』、1777)
 やたら繊細な心を持った遊び人。


・海賊たち(ギルバート&サリヴァン『ペンザンスの海賊』、1879)
 心が優しい海賊というのは現代までえんえんとある「黄金の心を持った不良」のヴァリエーションである。


・アーサー・ゴーリング(タイプI、オスカー・ワイルド理想の結婚』、1895)
 すごい怠け者のダンディなのだが頭が切れる。


・レット・バトラー(タイプI、『風と共に去りぬ』、1939)
 最もダークな「黄金の心を持った不良」。


・リンゴ・キッド(タイプII、『駅馬車』、1939)
 お尋ね者のくせしてこの上ない快男児である。自分の「男らしさ」に全く疑問を持っていないのでどんな女にも紳士らしく、娼婦だからとかいってダラスをバカにしたりしない。あとなんか意外と童貞っぽい。


・ジム(タイプII、『理由なき反抗』、1955)
 ナタリー・ウッドジェームズ・ディーンに告白する場面はどうして女の子が「黄金の心を持った不良」が好きなのかを端的に示している。


・スカイ(タイプII、『野郎どもと女たち』、1955)
 ギャンブラー男とマジメな女の恋愛ミュージカル。


・無名のRebel(タイプII、クリスタルズの歌'He's a Rebel'、1962)
 歌詞によるとこの彼氏は人と違って個性的で特別('not just one of the crowd')だが、「私にはいつも優しい」('always good to me')らしい。「黄金の心を持った不良」そのものですな。


・ジミー(タイプII、シャングリラズの歌'Leader of the Pack'に出てくる暴走族のリーダー)
 'The wrong side of town'から来た少年で、歌の語り手であるベティは両親に交際を反対され、ショックを受けたジミーはバイクを暴走させて死んでしまう。


ハン・ソロ(タイプII、『スター・ウォーズ』シリーズ、1977年開始)
 セクシーな密輸業者とか、典型的な「黄金の心を持った不良」である。


・ダニー(タイプII、『グリース』、1978)
 このサントラだけでトラヴォルタは仕事がなかった頃も食えたとか…


・ジョニー(タイプII、『ダーティ・ダンシング』、1987)
 『ダーティ・ダンシング』は「女子のスター・ウォーズ」と呼ばれている。


・ウェイド(タイプII、『クライ・ベイビー』、1990)
 ジョニー・デップの「黄金の心を持った不良」度はすごい。というかティム・バートンの映画に出ていない時は常に「黄金の心を持った不良」なのではないか疑惑。


アルチュール・ランボー(タイプI、『太陽と月に背いて』、1995)
 たぶん詩人のパブリックイメージの一部として「黄金の心を持った不良」クオリティがあるんだろうと思う。


・パトリック(タイプII、『恋のからさわぎ』、1999)
 生前のヒース・レジャーの「黄金の心を持った不良」クオリティもすごかった。


ボブ・ディランと覚しき六人の男たち(タイプII、『アイム・ノット・ゼア』、2007)
 ロックスターというのはたいていこのクオリティを持っている。


・ハリー王子(タイプI)
 実在の独身男性だが、この人のパブリックイメージはまさにこれだろう。



 …で、いろいろとリストを作って検討したわけだが、私がこんなことをずっと考えていたのは、最近、古典的な戯曲のバッドボーイ的なキャラクターをロックスターみたいに演出するのがけっこう流行っていたのだが、それって結構難しい気がしていたからである。ロックスターというのは基本的に「黄金の心を持った不良」クオリティを持っているものとみなされている。どんなに突っ張っていてもエルヴィスはママにキャデラックを送ったし、ジョン・レノンは主夫だし、若くして亡くなってしまったジミ・ヘンドリックスやカート・コベインには繊細すぎて折れちゃった花みたいなイメージがつきまとっているし、アクセル・ローズは病気がちである。で、そのイメージというのはいいほうにも悪い方にも働く。例えば去年のスワン座の『リチャード三世』ではジョンジョ・オニールがパンクロックスターのイアン・デューリーっぽくリチャード役を作っていたのだが、この演技はけっこうみんなから怖さが足りないと言われていた。これは私の考えによると、パンクロックスターというのは暴れん坊でちょっと頭おかしいものの心は繊細というか無垢なところも持っているものだ、というようなイメージがみんなにあるので、いくらワルとは言っても狡猾で子ども殺しを平気で行う老練な政治家リチャードとはかなりパブリックイメージに隔たりがあるからである。ロックスターというのは、完全な悪党になるにはちょっと心が優しすぎる生き物としてとらえられているのではなかろうか?またまた一昨年のバービカンの『悪口学校』ではレオ・ビルがピート・ドハーティっぽくチャールズの役を作ってきていたのだが、これは一部で「ヤク中が最後に相続人になってハッピーエンドなんておかしくないか…」みたいな感じでえらい不評だった。私くらいの世代だとピート・ドハーティというのはそれこそ「黄金の心を持った不良」の典型例で、繊細すぎて泥沼から抜け出せない才人みたいなイメージなのだが、どうも世間的にはピート・ドハーティみたいなロックスターというのは相続人になって財産管理をするにはワルすぎるというか無責任すぎるというイメージがあるらしい。「黄金の心を持った不良」は人殺しになるには優しすぎ、財産管理人になるには無責任すぎるという微妙なポジションらしい。
 

 …ということでいろいろ長々と書いてきたわけであるが、最後に一言言いたいのは、「黄金の心を持った不良」は我々の心の中にだけ存在し我々の夢を食べて生きている存在であって現実には存在しないかもしれないということである。現実にそういうものが存在するとしても既にヒース・レジャーみたいに繊細すぎて死んでるか、ウィカムみたいに仕事も恋人もロクにかまわない無責任ヒモ暴力不良に光速でダウングレードされるかもしれない。さらには別に自分を殴ったりとかはしなくても実際は見かけほど型にはまらない優しいタイプではなく、子供を産んだら家庭に入れとか自分の言うことをきけとか自己中心的なことを押しつけてくるかもしれない。現実とヒース・レジャーピート・ドハーティの間にはものすごいギャップがある。