ポルノグラフィが輝いていたあの頃〜リン・ハント編『ポルノグラフィの発明』

 リン・ハント編『ポルノグラフィの発明―猥褻と近代の起源、一五〇〇年から一八〇〇年へ』(Lynn Hunt, ed., The Invention of Pornography: Obscenity and the Origins of Modernity, 1500-1800, Zone Books, 1996)を読んだ。初期近代のポルノグラフィについての論文を集めた有名なアンソロジーである。

 収録されているハントの論文だけは日本語で昔読んだ覚えがあるのだが、英語で通読し直したら全然内容を忘れていた。全体としてはルネサンスからフランス革命期くらいまでのヨーロッパの政治文書あるいは諷刺文芸としてのポルノグラフィを論じたもので、この頃のポルノグラフィは(すっかり商業化され、ある意味「飼い慣らされた」現代とは違って)とんがった政治諷刺や宗教批判、最先端の哲学思想などと密接に結びついていて、フランス革命とか啓蒙主義のような大きな社会の動きと不可分のものであったのだ、ということがわかる本になっている。フランス革命期にマリー・アントワネットをはじめとした王族や腐敗した政治家・聖職者をスキャンダル話で攻撃する諷刺ポルノグラフィがたくさん出ていてこういうのはもちろん王家の権威失墜という政治的目的で書かれていた、というリン・ハントの論文はとても興味深く、既に古典的なものになっているのでここだけ読んだっていう人もけっこういると思う。

 その他の収録論文では、キャサリン・ノーバーグの「リベルタン娼婦」の論文がなんかもうマテリアリズムが止まらない!感じで非常にわくわくする、というかまあわくわくするんだけど同時に幻滅もする。ノーバーグによると娼婦もののポルノグラフィのストックキャラクターとしては主に二種類、虐待されたりかわいそうな目にあう、それこそ「黄金の心を持った」悩める美女タイプの「徳ある高級娼婦」(virtuous courtesan)と、ルソーとかが出てきて女性の慎み深さとかが称揚されるようになる以前のロココふうな唯物論思想に支えられた「リベルタン娼婦」がある。『ファニー・ヒル』や『マルゴ』、サドの『ジュリエット』などがリベルタン娼婦ものの代表としてあげられているのだが、こういうリベルタン娼婦たちは頭がよく健康で、苦労はしても虐待されるがままになっているようなことはなく、積極的に性的快楽と金を求めてそれを謳歌し、最後もその暮らしぶりのせいで罰を受けたりすることはない。さらに唯物論の哲学の中では性差はそれほど重要なものとして扱われないこともあり、とくにサドの文学では男か女かよりも主人か奴隷かというののほうが飛び抜けて重要になってくる。しかしながら性差とか女性の美徳みたいなものを強調する風潮がどんどん広がったため、サドを最後にこういうリベルタン娼婦文学の伝統はなくなってしまい、現在(1990年代)までこの流行は復活していない…という話らしい。ノーバーグの言うように、こういうリベルタン娼婦の文学的伝統は別に18世紀の実態を反映しているわけではないし、18世紀がその後に比べて特別にジェンダー平等が達成されていたとかいうわけでもないのだが、このような芸術的伝統がなくなってしまったということは文化史的には損失と言えるのかもしれない。


 で、ノーバーグの分析を読んでいるとこのリベルタン娼婦文学というのは大変面白そうで、文学史の伝統の中で燦然と輝いているかのようにに見えるのだが、実際読んでみるとそこまで面白いものは(サドとか『ファニー・ヒル』みたいなのは面白いのかもしれんけど)少ないのではないかという予感がするのが私の幻滅のひとつ。あと、1990年代だと「リベルタン娼婦」を生き生きとした文学上の伝統として評価することができたんだろうけど、ネオリベラリズムが台頭して以降の世界でそれができるのか、ってことがもうひとつの私の幻滅である。リベルタン娼婦は唯物論の哲学に支えられていてカッコいいかもしれないが、2000年以降、ネオリベ世界で肉体を武器にのしあがる女性たちの物語をたくさん見ている我々はこういうリベルタンだかネオリベだかの娼婦たちがいくら成功しようが結局はみんなつらくなるだけだということに気付いてしまったのではないだろうか。ポルノグラフィの希望は過去にしかなかったのかもしれん。


 あと、この本に限らないのだが私がひとつ疑問に思っていることで、英語圏の人って性欲とかについてよく'healthy'っていう言い方を使うけど、あれ日本語の「健康な」とはかなり意味違うよね?なんかかなりkinkyな性行為でも節度を保ちつつおおらかに行われているものには'healthy'という形容詞を使っているように思うので(ノーバーグのp. 235でもリベルタン娼婦がhealthyだっていうことを強調してる)、ちょっと理解が難しいところがあると思う。