現実よりはフィクションに生きることが安全だという厳しい現実〜ベン・ウィショー&ジュディ・デンチがアリスとピーターパンのモデルを演じる『ピーターとアリス』(少しネタバレあり)

 ベン・ウィショージュディ・デンチが『スカイフォール』の脚本家であるジョン・ローガンと再び組んだお芝居、『ピーターとアリス』(Peter and Alice)をノエル・カワード座で見てきた。

 これはJ・M・バリーの『ピーターパン』のモデルになったピーター・ルウェイン・デイヴィスとルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』のアリスのモデルとなったアリス・リデルの邂逅(実際に起こった出会いをもとにしているらしい)を描いたものである。まあ一言で言うと若いピーターと老いたアリスがそれぞれの「世界で最も有名な児童文学の主人公になる」という特異な経験を交換しあう話、ということになるのかもしれないが、すごく面白いけど実につらい話だった。

 と、いうのも、アリスもピーターもバリーとキャロルという作家と出会ったことでその後の人生を変えられてしまったというか、子供にしては強烈すぎる体験をし(2人とも性的虐待はされていなかったがそれぞれ作家と異常に精神的に親密になってしまった、ということを示す場面がいくつかある)、さらに不滅の名作の中に永遠の子供として保存されてしまってそこから抜け出すことができないという苦痛を抱えているので、全体的にトーンがとても暗いというかシリアスなのである。もちろん笑うところもたくさんあるのだが、これはオスカー・ワイルドが言う「自然は芸術を模倣する」という警句の一番ダークな側面をとらえた話なんじゃないかな…この芝居が言っているのはフィクションの力というのはあまりにも大きくて人の人生を変えてしまう力すら持っている、そしてそれは決してばら色の未来を描くものではない、ということである。しかしながらフィクションがなければ人は生きていけない。この話はフィクションがないと生きられない人間の業の物語である。

 セットは古い本屋さんという感じで、ファンタジーと現実のあわいが微妙になるあたりを本がとじたり開いたりするのを模した動きのあるセット変換で見せていてとても良い。全体的に台詞が多すぎてちょっとごちゃごちゃしている感じもあり、とくに長台詞が多すぎるのが問題だと思うのだが、とにかくベン・ウィショージュディ・デンチの演技がうまく、台詞回しも自然なので見ている間は長い台詞もそれほど気にならない。とくに私がよかったと思うのはピーターの兄でバリーのお気に入りだったマイケルがおそらくはゲイの恋人と心中し、そのことをピーターがずっと引きずっていて…ということをフラッシュバックのように描くシークエンスで、ここは台詞がこみいった他の箇所に比べると抑えた感じで役者陣も息が合っていて非常に胸に迫るものを感じた。

 で、この芝居は最後、バリーの書いた夢の世界に生きることを拒んで現実と向き合って生きようとしたピーターが自殺し、キャロルの描いたフィクションの夢を選んだアリスが平和に天寿を全うした、ということを語る台詞で終わる。ここまで見て、いやこれは実につらい話だ、厳しい現実もフィクションの夢の世界もどうせつらいけどまだ後者を追うほうがより耐えやすいという剥き出しのつらい「現実」を提示する話なんだな…と全くつらくなってしまった。アリスがピーターに「物語に生きましょう」と手をさしのべてピーターが拒絶する場面のある意味アンチクライマックス的な哀しさったらない。しかし、物語のほうがマシだと思ったアリス・リデルは生き延びた一方、物語に柔軟に適応することを拒んだピーターは死んだ。これは小説の中でひたすら迷惑を被りまくってもしぶとくサヴァイヴァルした、不思議の国と鏡の国のアリスと同じ結末だと思う。この「より耐えやすいフィクションを選ぶ」っていう最後が何に近いかっていったらジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「男たちの知らない女」とか、あるいはSF映画の『リキッド・スカイ』なんかに近いと思う。女性はサヴァイヴァルするためにより耐えやすい悲惨を選んできたし、アリスもそうしたのだ、という…そしてたぶん、今でもアリスはたくさんいる。