史実vsコンセプトの戦い〜ヒュパティアの伝記映画『アレクサンドリア』

 科学史DVD鑑賞会(ウエハラモノローグさんオシテオサレテさんid:sumidatomohisaさんが参加)で、レイチェル・ワイズ主演、アレハンドロ・アメナーバル監督の映画『アレクサンドリア』(2009)を見た。4世紀頃のアレクサンドリアキリスト教徒に惨殺された実在の女性哲学者ヒュパティアを描いた伝記映画である。

 で、この映画は猛烈に反宗教(とくに反カトリック)的でありかつフェミニズム的でもある映画である。監督(アメナーバルはチリ系スペイン人でゲイ)と制作スタッフはものすごい勢いでこの作品を現代ヨーロッパ情勢にとってrelevantな作品にしようと試みており、おそらくかなりちゃんと歴史を勉強した上でコンセプトのために意図的に史実を曲げている。当時のキリスト教徒が現代のムスリムのテロリストをイメージした服装で描かれており、これは若干政治的に問題ある描き方かもしれないがとにかく宗教一般を批判する意図がかなりある(キリスト教に対して「お前らはイスラム教徒がテロリストと言うが自分たちだってテロリストじゃないか」というメッセージがある一方、「宗教なんて皆同じでダメ」というメッセージもたぶんある)。キリスト教徒とユダヤ教徒の抗争は大変残虐で、このあたりの描き方はかなりリアルである。キリスト教徒がパウロを引用してヒュパティアを批判するところがあるが、パウロ書簡は女性を抑圧するための口実として歴史的に非常に頻繁に使われてきたのでこのあたりもよく考えていると思った。一方、ヒュパティアが1200年も後のケプラーの業績を先取りしていたという話になるところがリアルではないということで鑑賞会では不評だったのだが、これは明らかにヒュパティアとガリレオとかジョルダーノ・ブルーノみたいに教会に弾圧された科学者とヒュパティアを重ねようとする意図の結果で(途中で「地球が動くとはバカな…」みたいなことを司教が言う場面がある)、カトリック教会批判を打ち出すために故意にやっていることである。この点、コンセプトとか意味不明で「なんかおもしろそうだから」みたいな感じで史実を変えまくった『もうひとりのシェイクスピア』とは心意気が違う。

 全体的に演出がかなりヨーロッパふうの歴史娯楽大作っていう感じであるところもあり(ヨーロッパの歴史娯楽作ってハリウッドの歴史娯楽作より変態的だと思うんだけどそうじゃない?)、この映画はスペインとかあるいは南米の観客をターゲットに、カトリック的文化による女性差別や同性愛者差別、神の名において行われるいろいろな残虐行為(性的虐待の隠蔽とか今でもヨーロッパでは日常に近いところで起こっていることでもある)、あるいは学問の自由への干渉を考えさせるために作った映画なのだろうと思う。ちょっとコンセプト(いやむしろカトリック文化に対する怨念というべきか)が先に立ちすぎな気はするのだが、映像もきれいだしレイチェル・ワイズの演技も良いし、私は大変面白かった。こういう女性科学者とか哲学者が主人公の映画をどんどん作ってほしい。

 あと、スペイン人のゲイの監督がとったカトリック批判映画っていう意味ではペドロ・アルモドバルの『バッド・エデュケーション』(2004)と比較すべきなのかもしれない。あれは悪しき宗教教育みたいな意味のある映画だと思うのだが、『アレクサンドリア』は良き教育が宗教につぶされるという映画である。