SNSの時代のファンダム、企業、草の根政治運動を記述する〜ヘンリー・ジェンキンズ、サム・フォード、ジョシュア・グリーン、Spreadable Media: Creating Value and Meaning in a Network Culture「ひろげられるメディア:ネットワーク文化で価値と意味を創る」

 Henry Jenkins, Sam Ford, and Joshua Green, Spreadable Media: Creating Value and Meaning in a Networked Culture 「ひろげられるメディア:ネットワーク文化で価値と意味を創る」(New York University Press, 2013)を読んだ。こちらにオフィシャルウェブサイトもある。

Spreadable Media: Creating Value and Meaning in a Networked Culture (Postmillennial Pop)

Spreadable Media: Creating Value and Meaning in a Networked Culture (Postmillennial Pop)

 ヘンリー・ジェンキンズの本は既に三度ほどレビューしているし(こちらこちらこちら)講義にもぐったこともあるのでこのブログずっと見てる方にはおなじみかと思うのだが、新著は共著でかなりの大著である。全体としては、情報技術発展が双方向的な発信を可能にした時代において文化コンテンツの頒布に企業とファンがどうかかわっているのか、テレビ、映画、ゲーム、政治活動など幅広い事例をもとに分析していてかなり包括的な大著である。

 いくつかキーワードとなる言葉が出てくるのだが、重要なのはまずspreadability(流布可能性)である。これは「[権利者の許可の有無は置いておいて]受け手が自分自身の目的のためにコンテンツをシェアできる技術的・文化的ポテンシャル」(p. 3)のことである。これと強く関連する言葉としてstickiness(粘着性)という概念があがっており、これは既に他の論者も使用しているらしいのだが「受け手の深い参与を生み出し、自分が得たことを他人とシェアしたいという動機を与えるような」(p. 4)性質のことである。stickyでないコンテンツはいくら宣伝しても受け手によって好まれシェアされることはない。Stickinessを考えることはいろいろ有効なところがあるが、一方でstickinessモデルは特定の目的地(ウェブ上の一カ所)にひとりひとりお客さんが訪問してくることを想定するという要素をかなり強く持っているので、お客さん同士の社会的交流をダイナミックに記述するにはあまり適してない。そこを補うのがspreadabilityである。この考えはかなり受け手(メディアの観客)を中心に置いたモデルで、受け手中心にメディアのフローを考えるっていうのはヘンリー・ジェンキンズの今までの業績であるConvergence Culture: Where Old and New Media Collideとかとかなり似た方向性で、内容の記述スタイルも似ている。

 で、spreadabilityをキーワードとし、スーザン・ボイルやらハリー・ポッターやらオンラインゲームやら日本のアニメやらとにかく多岐にわたるいろんな事例をとりあげて、メディアを広げることに伴ういろいろな問題含みの側面、たとえば海賊行為、企業によるファンの無償労働搾取、贈与経済で回っていて市場と折り合いの悪いところもあるファン文化とかをかなりダイナミックに記述しているわけだが、このあたりは三人著者がいて本気でいろいろな先行研究を集め、自分たちでも事例収集をしているのでかなり読むのが大変で、正直いっぺんで読むだけでは全部理解出来た気が全然しないし、若干手を広げすぎてとっちらかっている気もする…のだが、とにかく読み応えはある。理論的バックグラウンドとなっているのが、私が個人的に好きなルイス・ハイドの『ギフト―エロスの交易』とかブレヒトだというところも趣味があっていてうれしい。

 あげられている事例はどれも面白いのだが、とくに興味深いのは第五章あたりであげられている草の根政治活動とspreadable mediaの関係である。ハリー・ポッター・アライアンスの活動が結構紹介されているのだが、このアライアンス結成メンバーであるアンドルー・スラックによると、スラックたちはハリーが政府とメディアの横暴に対抗するため作ったダンブルドア軍団を真似て、ハリー・ポッターの行動に共鳴する人たちに呼びかけ、労働者の権利や同性婚、災害寄付金集めなどに関する政治活動を行う組織としてアライアンスを作った。もともと自分が政治的なタイプじゃないと思っていた人たちもハリー・ポッターを通じてずいぶんこういう活動に参加しているらしい。オキュパイロンドンで「ダンブルドアならどうする?」プラカードを持った人と行進した私としてはこういう活動は非常に興味深いと思うし身近にあるものに思える。
 
 で、読むのが結構大変な本なのだが、この本のいいところとしては二点があげられる。まず、最近のメディアの変化を「未曾有の大変化」とか「人類史上の分岐点!」みたいにあまり大げさに考えず、過去におけるメディアの変化(印刷の登場とか新聞の誕生とか)に関する知識を背景に長期的・歴史的視野を持って現状に慌てず対処する姿勢を持っていることである。ジェンキンズのことばっかり言って恐縮だが、基本的にジェンキンズが映画史とかヴォードヴィルをもともと研究していて文化史家としての素養がある人なのでこういうスタイルの本になるのも納得がいく。このあたりがいかにも「今ここで起こっているメディアの変化」だけに着目した結果やたら危機感をあおったり、反対に現状をものすごく素晴らしいものとして描き出すような凡百のメディア本とは違うようになっていると思う。あともう一つのよいところは最初の利点の延長線上にあるものかもしれないのだが、この本は情報技術の革新ですっかりとっちらかっているメディア流通の現状に悲観せず、いろいろな問題は正確に把握しつつも基本的にはユーザの力を信じるという楽観主義に基づいており、これは私には大変魅力的なモデルに見える。こういう楽観主義は北米のギークな学者によく見られるもので、デイヴィッド・ワインバーガーとかローレンス・レッシグなんかにも感じるところがある。

 まあこんな感じで非常におすすめの本なのだが、ジェンキンズの本は一冊も邦訳がない。どっか出してくれる出版社があれば翻訳者はすぐ二人調達できるんでどっか出しませんかねぇ…