マシュー・ボーンの『ドリアン・グレイ』〜超セクシーでモダンなオスカー・ワイルドの翻案(ネタバレあり)

 マシュー・ボーンの『ドリアン・グレイ』を文化村で見てきた。ボーンの中では初めて見る演目で、もちろんオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』の翻案バレエ版。

 セットは、真ん中にドアがある壁を舞台中央に置いてそれをぐるぐる回転させながらどんどん場面を変えるというもの。場面は写真スタジオ、寝室、パーティやってる客間、外の出口などいくつかのセッティングに次々変わり、ドアを通ってダンサーがセットからセットへ移動するような切れ目のない演出になっていて、非常にスピーディで緊張感がある。衣装も舞台装置も黒と白を基調にしたシンプルなもので、とくに衣装はスポーツウェアとか黒のドレスとか、露出も多くて結構大人の色気を強調したものが多い。パンツ一丁で男性ダンサーが踊るところも多数あり。

 あらすじはまあマシュー・ボーンの作品なので一度見ただけではわからない謎めいたところもあるのでちょっと自信ないのだが、とにかく上手に原作をモダナイズしてあるとは言えると思う。一応ストーリーを書いておくと、主人公は現代ロンドンの美貌の男性モデル、ドリアン・グレイ。才能ある写真家バジル(原作の画家バジルに相当)に見いだされてその恋人となり、メディアの女王レディH(原作のヘンリー卿に相当)に引き立てられて香水の広告塔としてセレブリティになるが、成功におごって男たちや女たちの心をどんどん傷つけ、破滅へ…というもの。原作に出てくる女優のシビルは男性ダンサーのシリルに置き換えられ、ドリアンは男にも女にもモテモテの美のアイコンということになっている。かなりドリアンとバジルの関係の変化(最初は情熱的でセクシーだった恋愛がどんどん暴力的関係になる)に重点を置いているぶん、純真だったドリアンがどんどん初心を失って内心苦しんでいるという無垢の喪失をめぐる葛藤みたいなものがかなり強いテーマとして出て来ていると思う。また、この作品の中で美と芸術を体現していたはずのドリアンもバジルも悲劇的な最期をとげる一方、それを売る側であるレディHは生き残るので、芸術がマスメディア産業の暴虐により堕落して葬られる様子を象徴的に描いた話であるともいえるかもしれない。バジルがダミアン・ハーストみたいっていうのはいろいろな批評で言われているらしいのだが、そういうことを考えると現代英国の美術をめぐるかなり厳しい諷刺が織り込まれているのかもしれない…のだが、そうは言ってもとくに最初のバジルとドリアンが恋に落ちるところの情熱的な振付とかを見ているとマシュー・ボーンはすごく芸術とか美の力を信じている人なんだなという気がしたので、これは諷刺的かもしれないがそんなにシニカルな話ではないと思う。

 踊りのほうは非常にセクシーで、男女及び男男がかなりアクロバティックに身体をからませる、露骨にセックスを想像させるダンスがある。露骨ではあるのだが、そこはバレエだけあっていい具合に抽象化されているのでそのぶん想像力をそそるところがあってかえってエロティックである(前から思っているが、ボーンのセックスを連想させる振付はtease、つまりじらしの要素が多くて非常にバーレスクに近いと思う)。最後はいかにもバレエらしく、ドッペルゲンガーを使った緊張感ある踊りでドリアンの破滅を描いていく。

 ちなみに休憩中のロビーではマシューが出て来てサインをしてた。なんとショップではボクサーパンツが売られていた…いくらパンツがたくさん出てくるバレエだからって、うちショップでパンツ売る舞台とか初めて観たぞ…しかも女性にも「部屋着としてどうぞ」とかすすめてたし…

 まあ、全体としては難しいところはあるけれどもとにかくセクシーな作品なので絶対おススメである。チケットまだちょっとあるみたいだから皆行ったほうがいいよ。