レイモンド・ウィリアムズの魂〜『田舎と都会』

 8/5に開催する「『田舎と都会』と『〈田舎と都会〉の系譜学』を一緒に読むハングアウト読書会」準備企画として、今日からレイモンド・ウィリアムズ強化週刊を実施。まずはレイモンド・ウィリアムズ『田舎と都会』山本和平、増田秀男、小川稚魚訳(晶文社、1985)を紹介。

 

田舎と都会
田舎と都会
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レイモンド・ウィリアムズ
晶文社
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 この本は英文学の歴史における「田舎と都会の関係をひとつの経験として、また課題として認識し、理解しようと努め」(p. 13)ることをテーマとする本で、英文学の正典的なテキストはだいたい扱っている一方、ウェルギリウスとかアチェベみたいな英文学でないテキストも少し扱っていて、詩から雑文的なものまでジャンルも相当幅広い。まずは伝統的な田舎を理想化したパストラルについて解説した後、田舎の土地所有者に寄り添った詩の形態である英国ルネサンスカントリー・ハウス・ポエムを論じ、18世紀の詩人G・クラッブなどによる農村をリアリズム的に描いた反パストラル的な作品と他の作品を対比する。さらに18世紀〜19世紀あたりのロマン主義の詩や小説を扱っており、とくにジョージ・エリオットやハーディの「田舎」描写についてはかなりたくさんのページが費やされている。その後都市の話が多くなり、SFや先進国と開発途上国の対比のほうまで進んでいく。

 様々な作家が「田舎と都会」をどう表現しているかの差異についてかなり微妙なところまで分析している本であるので、一般的な傾向を指摘しているところはかなり少なく、読みにくいが一般化を拒否した誠実な本だと言えると思う。また、この本はウィリアムズ自身がウェールズの「田舎」で育ったという個人的経験に強く根ざしたものであり、全体として田舎に対する都会の優越がほとんど問われないまま当たり前のものとして受け入れられている一方で田舎が妙に理想化され、田舎の人々の窮乏などが無視されがちになるという矛盾した現状に対する批判がかなり強烈に全体を貫いている。とくに第16章のジョージ・エリオット批判はかなり個人的体験と向き合うようなタッチになっている。「いろいろきついことを言ってきたが、これもエリオットがかかえていた問題とわたしのかかえている問題が切っても切れない関係にあると思えばこそである」(p. 230)という記述まであるくらいで、この本において著者のウィリアムズは白紙のバックグラウンドを持った権力ある著者として君臨するのではなく、自分の個人的な実存のために書いているかなりヴァルネラブルな当事者として存在しているので、そのせいで読みにくいというところもあるのかもしれない。

 私自身、田舎育ちで都会にでてきた者としてはかなり読んでいてつらいなと思うところが結構あった。とくにつらいなと思ったのはブリティッシュカウンシルがジョージ・エリオット、ハーディ、ロレンスをブリティッシュ・カウンシルが「わが国の偉大な三人の独学者」(p. 230)と評したことについて「この三人はオックスブリッジに行っていないだけで当時の水準からするとかなり高い学校教育を受けていた、しかし英国人の想像力にはこういうオックスブリッジモデルとでも言うべきものがあるので「全国民の1,2パーセントの人間(つまりオックスブリッジに行くような人間)をのぞくすべての人は『無教育な』人間、または『独学者』ということになり、他愛ない無知な人間と見なされ、学問があるような顔をすれば、困った奴だとか、くそ真面目だとか、狂信的だとか評されるのである」(p. 231)ということを指摘している箇所で、なんというか高校生の半分以上は大学に行かないのが当たり前のところで生まれ育った私としては非常にこういうブリティッシュ・カウンシルみたいな物言いは日本でも聞くものだし聞いていて苦痛である、と思った。

 ちなみに、この本は私が今まで読んだ研究書の中ではジョン・レノンの『ジョンの魂』に一番近い。作り手のプライヴェートな作品で、享受するのにある種の苦痛を伴う作品であること、階級とか出身といった英国社会の問題を取り扱っていることに共通点があると思う。

ジョンの魂 〜ミレニアム・エディション〜
ジョン・レノン
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