高山智樹『レイモンド・ウィリアムズ: 希望への手がかり』

 「『田舎と都会』と『〈田舎と都会〉の系譜学』を一緒に読むハングアウト読書会」に向けた最後の参考文献として、本日は高山智樹『レイモンド・ウィリアムズ: 希望への手がかり』(彩流社、2010)を読んだ。

レイモンド・ウィリアムズ: 希望への手がかり
高山 智樹
彩流社
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 今までの本に比べるとダントツでわかりやすいレイモンド・ウィリアムズの評伝で、著作の内容をもとにその問題意識の変遷を見通しよくまとめているよい本である。かなり長いのでちょっと読んでいて疲れるところはあるが、読み応えは十分である。とくに第四章第二節の『田舎と都会』に関する議論はなかなか読みにくい本をよくまとめていると思う。

 とくに序章と第六章第二節の、レイモンド・ウィリアムズが最近はあまり顧みられていなかったものの最近の反グローバル運動の中で再評価の兆しが…というところはさもありなんと思うのだが、ただ全体に(とくに「文学研究から文化研究へ」の章とかを読んで)疑問だったのはウィリアムズを「カルチュラル・スタディーズ」の枠組みだけで考える必要が本当にあるのかということである。『田舎と都会』とかはかなりちゃんとした英文学や文化史の訓練がないと書けないものだと思うし、そもそも英文学とカルチュラル・スタディーズと文化史の区分はどうなのかとか、そのあたりこの本を読んでいてどんどん疑問に思った。カルチュラル・スタディーズ的にはウィリアムズを源流のひとつとして定義するというのは非常に重要なことなのだろうと思うのだが、私は英文学とか文化史の視点でウィリアムズを読んでしまうのであまりそのへん共有できないところがあるのだろうと思う。