ブレヒトのようなシェイクスピア〜柿喰う客、オールフィメール『女体シェイクスピア004 失禁リア王』

 ずっと見に行きたいと思っていたがロンドンにいたもんで行く機会がなかった柿喰う客の女体シェイクスピアを初めて鑑賞。演目は『失禁リア王』で、これはオールフィメールでシェイクスピア作品を上演する企画の第四弾である。実は10月のシェイクスピア学会で異性配役のセミナーに参加することになっており、この演目についての発表も私の参加するセッションで行われる予定なのでとても楽しみにしていた。

 非常にパワフルな上演だったのだが、思ったよりも断然ブレヒトっぽかったと思う。台詞を聞かせるというよりは歌を増やし、登場人物一人一人もわざと感情移入がしにくいような感じに演出している。リア王は怒鳴り散らす粗野な王様で、さらに荒野にリア王が出て行くところは普通の上演なら見せ場になるはずなのだがこの上演ではあまり同情を引くような場面作りにはなっておらず、かなり突き放した描き方になっている。白づくめのコーデリアは記号的ないい子ちゃんでこれまたあまり同情を引く感じではなく、激しく怒ったり怒鳴ったりするゴネリルやリーガンのほうがまだ生身の人間らしい感じだ。さらにコーデリアの分身としての側面があるはずの道化はなんとお色気むんむんの黒づくめのセクシー美女で、お色気と強烈な諷刺を合体させるというかなり強烈にジェンダーステレオタイプを打破する配役をしている一方、コーデリアとの対比を鮮烈に打ち出していてとても面白い。台詞の少ない登場人物の描き方は非常に記号的というか持ち物で人格を表現させるというまるで宗教画みたいな手法をとっており、コーデリアに求婚してくるフランス王とその家臣たちはおフランスなワイングラスを常に持っていてやる気あるのかよくわからない(これはちょっとステレオタイプ的でどうかなっていう気もしたが)し、オールバニ公はくまのぬいぐるみを持っていてとても気弱そうだ。

 アフタートークでも演出家の中屋敷法仁が言っていたのだが、全体的にオールフィメールの配役によって男社会のゆがみを際立たせ、ステレオタイプな女性の描き方に疑問を呈するような演出になっており、大変面白いと思った。もともと『リア王』はブレヒトっぽく異化効果を強調しやすい芝居だと思うのだが、その特徴をよく引き出つつ大胆に編集し新機軸を加えていて飽きさせない(あの長い芝居を一時間半にきちんとカットしているところもいい)。歌の場面はヨーロッパのキャバレーやバーレスクみたいなある種の痛烈さ、観客の批判精神を呼び起こす鋭さがあり、シェイクスピアという権威をうまいこと換骨奪胎しているなと思った。細かい演出については、たまにあまりにもスピード感や歌のおもしろさを重視しすぎてセリフが聞こえづらくなってる場面があったりとか疑問のあるところもあるし、一回見ただけでは消化しにくいところもあると思ったのだが、次回公演は是非行きたいと思う。

 次回作としては『タイタス・アンドロニカス』とかを候補にしているということだったのだが、むしろうちはこのオールフィメールでブレヒトの『肝っ玉おっ母とその子どもたち』とか『三文オペラ』とかをやったらいいんじゃないかと思った。このキャストで肝っ玉おっかあが荷車を引いて出てくるところを見たい。

参考:今まで見たオールフィメールシェイクスピア
ゴブレイプロジェクト『赤いきつねとみどりのハムレット』〜学芸会とヴィクトリアンバーレスクのはざまで
ドンマーウェアハウス座、オールフィメール『ジュリアス・シーザー』〜プロペラの罪は重い