演出は野心的だけど、もっと色気を!〜新国立劇場『エドワード二世』

 新国立劇場でクリストファー・マーロウの『エドワード二世』を見てきた。すごく野心的な演出だしつまらなくはなかったと思うのだが、イマイチ乗れないところが多かった。

 とりあえずこれは有名戯曲でデレク・ジャーマンの映画も出てるし、既にバンクサイドローズで見た時にあらすじを書いているので、ストーリーについてはそちらを参照。

 セットは金を大胆に使ったウィーン美術みたいな箱で、やたら大きい玉座など、ほとんど小道具は使わず大きい道具を少しだけ使って視覚的迫力を出すというもので、それはとても良かったと思う。また、カーテンを効果的に使って芝居を切り分けているのも良い。衣装などはかなりモダナイズしてある。変化に富んだ照明はちょっと蜷川シェイクスピアっぽいが、かなり凝っている。

 この公演の一番の特徴は柄本佑演じるエドワード二世がまるで長岡外史を貧弱にしたみたいなヒゲをはやしたバカ殿であるということだと思う…のだが、これは弱い王エドワードを表現するということではとても野心的な試みだとは思うんだけれども単なる出落ちみたいになってしまい、この芝居独特の肉々しい(憎々しい、ではない)テーマがあまり浮かび上がってこなくてちょっとなぁと思った。エドワード二世はたしかに弱い王だが、シェイクスピアのリチャード二世なんかと同様、それでも王であり(かつ情熱的に恋する男であるという点においても)なんらかの尊厳というか気品があるはずだと思う。弱く愚かな王がだんだん苦境で成長しかわいそうな姿に…っていうのを見せたかったのかもしれないが、それにしては最後までちょっと脱力すぎてのっぺりしてる気がした。とくに最後の場面、エドワード二世が全身泥まみれで出てくるところとかはヴィジュアルとしては衝撃的なんだけれどもあまり表情の変化が良く見えず、そのあたりものっぺり感がある一因かなぁという気がした。

 全体的に、お色気成分が少ないところにはかなり疑問がある。この芝居は男性が肉体的魅力を用いて出世するという話なので、お色気はただのお客さんサービスとかじゃなく作品の根幹にかかわる重大な要素だと思うのである。下総源太郎のギャヴィストンは言っちゃ悪いが普通のオッサン…で、弱いエドワードにあわせたんだと思うけど、なんといってもやっぱりギャヴィストンは身分は低いのに色気と頭だけで今の地位を手に入れたという設定なんだからもっとセクシーじゃないといけないのではないだろうか。とくにアイルランドから帰ってきたギャヴィストンが全身緑のお祭り衣装で踊って帰ってくるあたりは、ちょっとアイルランドをバカにしているような気もしたので喜劇的演出のほうにものれないところがあった。ギャヴィストンに比べると谷田歩のスペンサーは相当セクシーで、長谷川志演じる学者のボールドックとタバコの火を移しあうというやたらホモエロティックな描写が三回くらいあるのだが、これはどう見てもBLポーズ集だろう…と思ってしまった。まあスペンサーもセクシーじゃないといけないがスペンサーがギャヴィストンよりセクシーなのはどうなのっていう気がする。しかしながら一番の問題はモーティマーがセクシーじゃないことである。『エドワード二世』のお色気担当はギャヴィストンやスペンサーだけじゃなくモーティマーもだと思う。この芝居は、ギャヴィストンを身分が低いとして心底軽蔑する貴族的なモーティマーも実はギャヴィストン同様、溢れる肉体的魅力を使って出世を…っていうとこが面白いのだと思うのだが、今回のモーティマー(っていうか反エドワード陣営全員)は台詞がやたら絶叫系で色気に欠けるし、かなりわかりやすい翻訳の台詞なのに聞こえづらくなって台無しである。あんなに叫んでばっかりだと、いくら颯爽とした若武者でも王妃イザベラ(中村中が演じていて、ちょっときちんとまとまりすぎている気はしたが誇り高い女である)は性的によろめかないと思うのである。

 あと、衣装もかなりお色気を削いでいるところがある。いつも思うのだが、モダナイズした演出の場合スーツに剣をさすべきではない。スーツはシルエットをスマートに見せるものなので、剣がぶらぶらと飛び出してるのは不恰好でなんかすごく象徴的な意味での不能感がある。英国ルネサンス演劇のモダナイズ演出で衣装をスーツにするなら、武器は(バス・ラーマン版『ロミオ&ジュリエット』みたいに)拳銃にしたほうがいいと思う。ルネサンスの衣類はシルエットのスマートさよりもがたいがデカくて華麗な感じを優先するだろうから剣をさしても映えるが、スーツには似合わない。とくに今回の演出はキャラクターが結構スーツの色で表現されており、マフィア映画みたいなファッションでもあったので、その路線でいくならなおさら剣はやめて拳銃で武装させたほうがそれらしかったのではないかと思う。

 全体的に、とても野心的な上演なので意欲は買うけど、もうちょっとオーソドックスに(デレク・ジャーマンを皆思い浮かべるであろう『エドワード二世』にオーソドックスとかいう言い方があるのかっていう話もあるが)にセクシーな政治劇にしてもよかったんじゃないかと思う。とはいえ、そんなにつまらないお芝居っていうわけではなく、最後まで飽きずに見ることができたのはやっぱり戯曲がいいのと、あと試みがうまくいってるかは別として作り手側が皆野心的でやる気があるからだろうと思う。うまくいかなくてもこういう野心的な演出はどんどんやったほうがいい。

参考:既にSweet Showers in Aprilさんも劇評をあげているのでこちらもどうぞ。

パリの虐殺・エドワード二世
クリストファ・マーロウ
北星堂書店
売り上げランキング: 1,790,437