この芝居と社会の接点は?〜ピーター・ブルック演出『ザ・スーツ』

 ピーター・ブルックが演出した『ザ・スーツ』をパルコで見てきた。今ちょっとブルック関係の仕事をしているので見なければならないと思って駆けつけた。

 これは南アフリカの作家キャン・テンバの短編を舞台化したもの。1950年代に南アフリカの黒人文化が花開いた街であったソファイアタウンが舞台で、主人公は黒人の夫婦フィレモンとマティルダ。フィレモンはある日マティルダの不倫を知るのだが、その復讐としてフィレモンは部屋から逃げ出した不倫相手が置き忘れたスーツを客としてもてなすようマティルダに強要する。不倫を常に思い出させられることになったマティルダはいろいろ文化活動などに精を出して忘れようとするが、結局最後は精神的苦痛のせいで死んでしまう。

 話自体はブラックユーモア小咄みたいな感じなのだが、演出はいたってリアル。舞台は服を掛ける可動式の竿と数脚のカラフルな椅子以外にたいした大がかりなセットもないし、役者の数も少ない。楽隊がいて常に音楽を奏でており、マティルダたちが歌う歌も重要な要素になっている。

 で、こんな小さな短い話なのにちゃんと最後まで見せるのはすごいと思う。役者は皆生き生きしているし、とにかく台詞が明快で発声もきれいである。笑えるところや痛切なところもあり、たるんできたら歌が入ったりとかメリハリもある。

 ただ、全体的にアパルトヘイトと話自体のつながりに疑問を感じた。ストーリーは夫が妻を精神的に虐待して取り返しのつかないことになるというもので、50年代の南アフリカで外で働いたりできない女性のつらさというのがバックにあるのだと思うのだが、そのあたりは暗示程度でそこまで明確なわけではない。一方、最初に「南アフリカと言う抑圧された土地でこそ起こる話だ」というナレーションがあったり、最後のほうでも警官に殺された黒人の音楽家の話や強制移住計画など暗い話が出てきて、夫の妻に対する精神的虐待がこういう社会的抑圧の結果として出てくる…ということを暗示したいのかとは思うのだが、そのへんがいまいちはっきりしていないように思った。あるいはむしろ一度の恨みを長い間抱えることに対する批判として見たほうがいいのかもしれないが…もう少し考えないと消化できない気がする。

 ちなみにこの上演は英語で字幕がつくのだが日本語字幕がかなり短い、というか、台詞をたくさん言っているところでも要点だけ字幕にするという方式で、できるだけ字幕を少なくしてアクションに集中させるという方針なのはなかなか面白いと思った。

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