歴史フィクションとしてはあまり面白くなかった〜『鉈切り丸』

 いのうえひでのり演出、森田剛主演の『鉈切り丸』を見てきた。日本版『リチャード三世』ということなのだが、時代は鎌倉時代初期に設定されており、話は血で血を洗う源氏の内紛に置き換えられている。歴史上の人物をかなりちゃんと取り入れており、リチャードに相当する主人公は源範頼になっているし、アンは巴御前、エリザベスは北条政子…というふうにしているが、史実とは全然違うし原作ともかなり違っている。同じく『リチャード三世』を日本の時代劇に脚色した『国盗人』よりもだいぶ自由な翻案という感じ。セットや衣装などは和風の豪華なものだが、台詞はかなり現代語が入っていてポップなスタイルだったり少し歌舞伎風だったりする。


 …で、結論を言うと私はあまり好きになれなかった。好みの問題だと思うのだが、せっかくいい感じのキャラだった大江広元が最後につけるオチで非常に白けてしまって…大江広元は『吾妻鏡』を書くために北条政子に雇われるのだが、政子が「ここはもうちょっとこう書け」というふうに始終介入してくる。最後は範頼の壮大な謀反計画や征夷大将軍になった事実までも完全に抹殺しようということになり、広元がその改竄版『吾妻鏡』の一節を読み上げた後、歴史に名を残せなかったことを悔しがりながら範頼が壮絶な死を…というふうになっている。で、征夷大将軍になったことを隠蔽するとか宮中にも記録が残ってるだろうから無理だろとか真面目なツッコミもできる一方、いくら『吾妻鏡』に歪曲があるからって、ここまでえんえんと史実に基づかないパラレル歴史ものをやっといて「ほんとはこうなんですけど北条政子が書き換えさせました〜こういう歴史もあったかもしれませんね〜」っていうオチは趣味が悪いしまるで言い訳みたいで表現方法も気が利いてないと思った。フィクションならもうちょっと堂々と「パラレル歴史上等!大風呂敷を広げるのはフィクションだけの特権!」っていうずうずうしい表現をすべきではないかと思うし、「正史から抹殺された人々を描きたい」というコンセプトならもっと抑えた気の利いた表現方法があるだろうと思うのである。


 それから役者にも若干疑問が…まず、とりあえず成海璃子が全然巴御前の役にあってないと思うのである。武勇に優れた美女の役だというのに、なんか弱弱しいかわい子ちゃんで台詞回しに凛々しさがなく、ただ出てきて範頼に虐待されて死ぬだけみたいな役に見えた。そもそも戯曲自体、巴の書き方があまり充実してないというかほんと「やられっぱなしのかわいそうな女の子」でどうかと思ところもあるのだが…森田剛は頑張ってると思ったのだが、別にこの役は森田剛でなくてもいいかもしれないとは思った。


 巴以外のところでも若干戯曲に疑問はある。とくに最後の梶原景時の心変わり、最初に頼朝を暗殺した件の責任はどうなったんだ…?とかなりもやもやした。ジャコビアン悲劇なら最後、景時も政子にぶっ殺されて血まみれで終わりだと思うんだけど、最後景時は良い人キャラになっていたねぇ…それから、このネタで三時間あるというのはちょっと長くないか?


 と、いうわけで、脚本にも役者の演技にも若干疑問があったのだが、まあそこまでつまんない舞台ではなかったし、多分に好みの問題だとは思う。