走るときは、ひとり〜『少女は自転車にのって』(ネタバレあり)

 『少女は自転車にのって』を岩波ホールで見てきた。性差別が激しいサウジアラビアで、10歳の少女ワジダが自転車(若い娘が乗るにははしたない乗り物と見なされている)を手に入れようと奮闘する、というストーリーである。なんてぇことはない小さい話で大事件は全然起こらないのだが、きちんとハラハラするサスペンスがあり、辛辣な諷刺や笑えるところもあり、またまた子役達の愛らしくかつ自然な演技をよく引き出していて、実に工夫に満ちた面白い映画だと思った。こんなに制約のあるところで(サウジアラビアには映画館がないそうな)予算も自由もなく、派手な演出もできないのに、アイディアひとつでこれだけ面白い映画を作れるとは、この製作チームはすごく有能だと思った。

 この映画でとくに面白いと思ったのは、これはワジダだけじゃなくワジダの母の成長物語でもあるっていうことである。ワジダのお母さんは映画の途中までは完全に夫に頼り切っており、世間の風習に従うことも重視していておてんばなワジダに対しても厳しいし、伝統社会で娘に自分と同じ道を歩ませようとする、優しいが実は迷惑な母親という描き方をされていると思う。ところがワジダのお母さんは家で家事を取り仕切っていればいい伝統的な奥様ではなく、外で働いている。サウジアラビアの女性というのはそんなに職場に進出しているわけではないはずなのだが、ワジダ一家は母が働かないと暮らしていけないらしい。ワジダのお父さんは週に一回くらいしか家にやって来ず、二人目の妻と結婚しようとしているのだが、自分でワジダ母娘の生活費を全部提供する気は全然ないみたいな感じである(ワジダの養育費とかは払ってるんだと思うけど)。私はてっきり、サウジアラビアの女性というのはあそこまで移動が制限されているので夫は妻の生活費を全部出すシステムになっているのかと思っていたのだが、どうやらワジダの母は夫からの経済的な庇護すらあんまり受けておらず、庇護がないのに苦労だけはさせられるっていう状態みたいだ。それで仕事をしないと生きていけないのでワジダのお母さんは毎日往復三時間もかけて職場まで通うのだが、女性が車を運転するのは禁止されているので乗り合いタクシーみたいなやつで男の運転手に送ってもらわないといけなかったり、いろいろ不便なつらい思いをしている。このため、友人でもっと近くの開けた雰囲気の病院(女性も顔を隠さず男性と同じ職場で働いている)で働いているレイラに転職をすすめられるのだが、ワジダのお母さんは夫が嫉妬するからとレイラのいる開けた職場に転職するのをためらい、常に夫の意向を気にして自分で選択をすることができない。しかしながら最後、夫が第二夫人と結婚するのを見て、ワジダは娘に自転車を買い与え、二人で生きていく決心をほのめかす。この時に夫の結婚式の花火が後ろにあり、夫が他の女と結婚するというのは一見不幸であるようだが実はこの二人にとっては幸せなのだ、ということが暗示される。この場面では、自分をスポイルする男性との決別がこの母娘にとっては重要な自立への契機なのだ、っていうのが視覚的にもわかりやすく表現されていると思った。

 最後の場面ではワジダが幼なじみのアブドラ(いたずら坊主だが性格のいい子だ)と自転車競争をするところが映し出されるのだが、最後、競争のはずなのになぜかアブドラが画面に映らなくなり、ワジダが一人で大きな道に出て行くところだけが見える。これはその少し前のワジダの母の夫との決別と同様、女はひとりでも生きていけるのだというメッセージを伝えているのではないかなと思った。


 ちなみにサウジアラビアでは女性が車を運転することが禁止されているのだが、Women to drive movementっていう女性が運転する権利を求める運動があり、その人たちがM.I.A.のBad Girlsのビデオに協力している↓