モダナイズの難しさ〜東京芸術劇場、日本版『こうもり』

 東京芸術劇場ヨハン・シュトラウスの『こうもり』を見てきた。オリジナルは19世紀ウィーンの社交界を舞台にしたものだが、こちらの上演は舞台を現代日本にし、主役のアイゼンシュタインは東京に住むオーストリア人の証券ディーラーに、妻のロザリンデは元モデルである日本人の妻に変更。この演目を生で見るのは初めてだし、そもそも今までドイツ語圏のオペレッタを舞台で見たことがなかった。

 全体的にはけっこううまくモダナイズしてあると思う。白を基調にちょっとした小道具で色彩を添えたり、照明で変化をつけるモダンな高級住宅風のセットはよく似合っている。ポッシュな第一幕・第二幕とは対照的に、第三幕では白いセットを黒い布で部分的に覆ったりして警察署を表現し、西村雅彦演じる警察官が日本酒を急須(?!)で飲みながら新聞の時事ネタに面白おかしくコメントしたり、近所で暖を取っている派遣切りされたホームレスの人に同情したりするのだが、このあたりで上流階級の派手な暮らしと一般人の暮らしの対比を見せるやんわりした諷刺もいいと思う(おそらく元の作品があまり辛辣ではないかなりやんわりした諷刺風味だと思うので、このくらいトーンでいいのではないだろうか)。ただ、さすがに日本女性がヨーロッパ出身者だらけのパーティでハンガリー人のフリをするっていうのはキツいと思った。もとの作品は帝国の中心地でヨーロッパきっての国際都市だったウィーンを舞台にしているのでこういう時事ネタが利いたのだろうが、モダナイズするならこういう時事ネタもアップデートしないと厳しそうだ(チャルダーシュが出てくるので音楽までカットしないといけないからそのあたり困難を極めそうだな…)。『こうもり』は世界中どこにでもありそうな上流階級のすったもんだを描いた風習喜劇なので一見モダナイズはしやすそうだが、一方で当時の社会情勢に根差したご当地ネタや時事ネタがたくさん入っているので細部のアップデートでつじつまがあわなくなる可能性があるのか…と思った。舞台を日本にするならいっそハンガリーのところは全部カットするか、あるいはロザリンデが台湾とかシンガポールあたりから来たことにして誤魔化すとかいう選択肢もあるかな?それから、舞台を現代日本にするならオルロフスキーはむしろホリエモンとか与沢翼みたいな見た目も態度もデカそうなfat catにしたほうがいいんじゃないかと…音域的にそういう歌手をキャスティングするのは厳しいのかもしれないが、「恵まれすぎていて人生に退屈した貴族」って、ちょっと19世紀的すぎて現代日本にはちょっと似合わない気がする。

 ただ、このオペラには私の苦手要素がふたつあるなと思った。まず、音楽も話もあまりに洗練されすぎているということ。たしか新年にツイッタ―で「ウィーンフィルの新年のコンサートが軽めの音楽ばっかり」と、ちょっとこういう音楽を見下したような発言をした人がいて批判されていたような覚えがあるのだが、むしろ私はこの手の洗練されまくった軽めのクラシック音楽は上流階級すぎて苦手なんだが…あと、さらに私が苦手な要素が酒芝居であるということである。第二幕はみんなシャンパンを飲みまくって酔っぱらったテンションで進むのだが、私、映画だと酒映画はけっこう平気なんだけれども(『ワールズ・エンド』とかは最高だと思ったし)、舞台だと酒芝居はなんか飲んだ人のテンションがデフォルメされて生々しく伝わってくるのでけっこう苦手である(トム・マーフィの『帰郷の会話』)。まあこれは私が一切飲酒しないからだと思うので、完全に個人の好みの問題だが…