これでもヘンリー・ジェイムズの原作よりはずっと優しい話なんですよ!〜『メイジーの瞳』(ネタバレあり)

 『メイジーの瞳』を見てきた。

 これ、邦題は『メイジーの瞳』となっているが、原題はWhat Maisie Knewで、原作はヘンリー・ジェイムズの1897年の小説『メイジーの知ったこと』(What Maisie Knew)である。19世紀末の小説を非常にうまくモダナイズしている…のだが、はっきり言って原作のほうがだいぶ辛辣だし手厳しい話だ。このまんま映画にすると、とんでもないネグレクト親が出てくるあまりにもつらい話になると思ったのか、両親も義両親もだいぶ原作よりまともな人にしてあるし、結末も救いがあるように改変してある。まあ、優しくなる方向に改変したにもかかわらず映画のほうもけっこう辛辣な話なのだが…(いくら甘くしてもこの設定と基本プロットだと楽しい話にはなりっこない)。

 舞台は現代のニューヨーク。ロックシンガーのスザンナ(ジュリアン・ムーア)と英国出身の美術商ビール(スティーヴ・クーガン)の間には6歳の娘メイジー(オナタ・アプリール)がいるが、スザンナとビールはケンカばかりで離婚してしまう。ビールはメイジーのベビーシッターであった若いマーゴ(ジョアンナ・ヴァンダーハム)と再婚し、スザンナもバーテンダーリンカーン(アレキサンダー・スカルスガルド)と再婚する。メイジーは両親の間を行ったり来たりして過ごすことにするが、多忙な両親はメイジーを新しいパートナーに押しつけて長期出張に出かけたり、無責任な振る舞いをする。結局はビールとマーゴ、スザンナとリンカーン破局することになり、ビールは英国に帰り、スザンナはツアーに出るために世話をしてもらえる人がいなくなったメイジー。置き去りにされたメイジーを見かねたマーゴはいとこから一時的に借りたビーチハウスにマーゴを引き取って世話をしはじめ、やがてリンカーンもやってきて二人は恋人同士になる。そこに突然スザンナがメイジーを迎えにやってくるが、両親の無責任さを知っているメイジーはまだいくぶんかはマシなマーゴとリンカーンと暮らし、スザンナと一緒に行かないことを選ぶ。

 視点人物であるメイジーはまだ子どもなので明確に親を批判したりはしないのだが、観察力が鋭くて賢いため、両親の無責任さを非常にはっきりと認識している。セリフが非常に少ないメイジー役を見事に演じたオナタ・アプリールの演技はとても素晴らしい。それぞれ優しいところもあるのだが、欠点だらけで責任感のないビールとスザンナのキャラクターも人間味がある。マーゴとリンカーンはちょっと原作に比べると責任感がありすぎるように思えるし、最後、このカップルを取り巻く家族関係や収入なんかについてのいろいろな疑問がうやむやになったまんま終わってしまうあたりはちょっと詰めの甘さを感じるのだが、役者二人が頑張っているせいでそこまで気にならないと思う。とくにリンカーン役のスカルスガルドは、若い継父が幼い義理の娘をかわいがって…とかいう話だと、原作が書かれた19世紀末にはあまり考えられていなかったであろうペドファイルの疑いが現代では出てきてしまうだろうに、それをうまいこと回避して、子ども好きであまり世間慣れしていない、イケメンバーテンダーなのにどういうわけだか愚直なボンクラみたいな若い男の役柄をうまく作っていて大変だっただろうと思う。製作した側は原作をかなり改変していろいろうやむやにしてでも、賢いメイジーの選択に起因する結末を明るく自由な色合いにしたかったのだろうな…と思うし、その選択は間違ってないと思う。

 ちなみにこの映画は美術もかなり気合いが入っており、鮮やかな可愛いおもちゃがあふれたメイジーの部屋のデザインなんかは、メイジーが感受性が鋭く一人遊びに慣れた子どもであることを暗示するとともに、無責任の埋め合わせのようにおもちゃを子どもに買い与えて甘やかす両親の存在も示唆するもので、単にキラキラ可愛いように見えてそれだけじゃないんだなぁ…と感心した。後半の海辺の映像なんかもうまく綺麗に撮っていると思う。