家に住めなくなること〜『ダブリンの時計職人』(ネタバレあり)

 『ダブリンの時計職人』を見てきた。

 主人公は失業した時計職人のフレッド(コルム・ミーニィ。この人の名前は発音が難しく、むしろ「コラム」に近いのかも)。UKからアイルランドに帰ってきたが家もなく、駐車場に車をとめて車上生活をしている。ある日、同じ駐車場にやはり車上生活者である麻薬中毒の青年カハル(コリン・モーガン)がやってきてホームレス仲間になり、フレッドが少しずつ希望を取り戻していくが、反対にカハルの具合がどんどん悪くなっていき…


 かなり地味であまりお金もかかってない映画なのだが、とても良かった。まず、ホームレス生活が人の自己評価を低くしていく様子をさりげなく巧みに描いている。フレッドは一応、公共のお手洗いで身体を洗ったり、着るものも整えたりしてできるかぎり見た目は「社会的規範に沿って生きてる一般人」としてふるまっているのだが、その実自己評価がどんどん低下していて、意中の女性をデートに誘うこともできなくなっている。これをしょっちゅうラリってるが頭は鋭いカハルに見抜かれるあたりのやりとりも良い。

 またまたフレッドが生活保護やら失業手当やらを拒否されるあたり、アイルランドにも所謂「水際作戦」みたいなのがあるんだな、どこの国でもひどいもんだな…と思った。しかしながら面白いのは、カハルに背中を押されたフレッドがアイリッシュ・トラヴェラーの例を持ち出して「住所がなくても補助が受けられる」と主張するところである。これはアイルランドの地域色がうかがえ、少数民族や文化を持ち出すのはヨーロッパならではの戦い方とも言えると思う。アイルランド映画らしいと言えば、この映画にはフィンランドから移民してきたピアノ教師である寡婦ジュールスが出てくるのだが、移民の女性が出てくるというのも『ザ・ガード:西部の相棒』や『ONCE ダブリンの街角で』と同じで、いったん景気がよくなったせいでけっこう(主に東欧系の)EU他地域出身者がたくさん住むようになったアイルランドのお国柄をよく示しているところでもある。


 この映画は主演のミーニーとモーガンの演技が非常に良く、まじめそうなオッサンとすかした若者という水と油の二人なのになぜか息が合って見える。とくにモーガン演じるカハル役は、麻薬中毒で人生ボロボロのワルな感じの若者なのになぜか聖人のようにフレッドを救済して死んでいくということで、ちょっとカトリックの聖者みたいに浮き世離れした無垢さを漂わせている。同じくアイルランドが舞台でカトリックの信仰がテーマのひとつである『あなたを抱きしめる日まで』のフィロミーナも聖女みたいに無垢な女性だったが、カハルの聖性はもうちょっと愚者的・道化的聖性というか、いくぶん神秘性がある。『フルートベール駅で』のオリヴァーと同様、こういう若くて欠点もあるのになんかいい人で悲劇的に死ぬ、みたいな役はあまりやりやすくはないと思うのだが、マイケル・B・ジョーダンとコリン・モーガンの演技を続けて見ると、こういう役がうまくできる若い役者ってすごいよな…とつくづく感心する。

 演技だけではなく演出のほうも地味なわりにけっこう凝った映画だったと思う。時系列は昨日とりあげた『それでも夜は明ける』とちょっと似ているが変則的で、こっちの分類だと変則型イン・メディアス・レスの一種(B→A→B→B'の順番で出来事が描かれる)だと思うのだが、開始場面がすごいシュールで、そのあといっきにリアリズム指向になる。映像的には、最初のほうであまり効果あるとは思えない手持ち撮影を使っているのはちょっとどうかと思ったが、最後のほうで光を効果的に使ってカハルの聖性を見せる演出はすごく印象的だった。