リヴァー・フェニックスの未完成遺作『ダーク・ブラッド』

 ユーロスペースリヴァー・フェニックスの『ダーク・ブラッド』を見てきた。亡くなる直前に途中まで撮影していたのだそうで、役者死亡でお蔵入りになっていたらしい。最近、大病を患ったジョルジュ・シュルイツァー監督が、とりあえず公開できる状態にしたいということで再編集したものだそうだ。

 お話は、砂漠に自動車旅行にやってきたハリウッドの役者夫婦ハリー(ジョナサン・プライス)とバフィ(ジュディ・デイヴィス)が車の故障で立ち往生ところから始まる。この2人は、核実験の被害を受けてほとんど住む人もいなくなったようなアメリカ先住民地区の跡地で、飼い犬のドッグ(名前が無い)と孤独に暮らしている1/8ホピ族の若者ボーイ(名前が無い)に助けを求める。ところがボーイがだんだんバフィに惚れはじめ、2人を街に帰さないよう画策しはじめる。ボーイは「じきに世界が終わる」と信じていてシェルターを作っており、そこで一緒に暮らしたいとバフィを口説くが、街に子どもを残してきているバフィは拒絶。ハリーとバフィはボーイのもとから逃げだそうとするが…

 とりあえずリヴァーの美貌と演技を見るだけでお金を払った価値はあると思うが、予想したとおり、そんなに面白い映画ではない。まず未完成というのがネックで、おそらくはリヴァーとジュディ・デイヴィスのかなり見応えある演技合戦となる予定であったと思われる重要な場面(最後にバフィがボーイを誘惑する場面があったらしい)がいくつも抜けており、そこはナレーションで説明されるだけなので、不消化感がすごい。それ以外にもかなり「何か足りない」というところが結構ある。例えば、ボーイが核実験跡地に住んでいる自分のホピ族の血を「ダーク・ブラッド」だとか言っていて、これについてはもうちょっと最後のほうでセリフなど付け加えて拾うつもりだったんじゃないかと思うのだが、未完成なもんで何がなんだかよくわからず、なんかホピ族とか被爆者に失礼なだけであんまり話に効いてこないような感じになってしまっていると思う。

 またまた、話がいかにも90年代のアメリカの地味映画っぽいというかなんというか、あまり見ていて独創的だなーとか思うところがない。性的魅力で場をのりきろうとする都会の女バフィの描き方もちょっと古い気がするし、ネイティヴアメリカンの精神性みたいなのもなんか今見るとちょっと陳腐な感じが…『シェルタリング・スカイ』とかを意識したのかもしれんが、そもそも私は『シェルタリング・スカイ』全然面白くなかったので、あまり好きじゃない映画のフォロワー映画みたいなのを見てもピンとくるわけもなく…

 しかしながら別の意味で面白かったところがひとつあった。というのは、この映画、撮影がすんでないところはナレーションで繋いでおり、そこをチェックしていくとこの監督がどういう場面を撮影の最後に回したか、けっこうクセがよくわかるのである。どうやら緊迫感のある場面や、役者同士の親密感が必要な重要場面を後に回していた気配がある。例えば、ボーイがバフィにシェルターで迫る場面は撮影されてないのだが、その後バフィがシェルターから出てくる場面は撮影がすんでいて、砂漠ロケで走ったりする場面はおそらくロケの都合で早めに撮ったが、バフィとボーイが対峙する場面は後に回していたようだ。そのせいで重要場面が軒並み撮れずに終わってしまった、ということになるのだが、映画の作り方を想像できるという点ではちょっといつもと違う面白さがあった。