日本軍による捕虜虐待の後遺症に苦しむコリン・ファース〜『レイルウェイ 運命の旅路』(ネタバレ)

 コリン・ファース主演の『レイルウェイ 運命の旅路』を見た。実話をもとに自由に脚色した作品らしい。これ、全然お客さん入ってなかったし暗い話なのだが、非常におすすめである。

 エリック(コリン・ファース)は鉄オタの退役軍人で静かに暮らしているが、ある日列車で出会った美女パトリシア(ニコール・キッドマン)に一目惚れし、大胆な行動に出て結婚。ところがその頃から第二次世界大戦の辛い経験に起因するPTSD(とは言ってないが、たぶん現代ならそう診断される)が悪化し、結婚生活がうまくいかなくなる。幻覚を見て暴れ、自分のことを遠ざけるエリックを心配したパトリシアは夫の戦友フィンリー(ステラン・スカルスガルド)から、どうやらエリックは第二次世界大戦中に日本軍から受けた凄まじい捕虜虐待のせいで精神を病んでいることを聞き出す。フィンリーはエリックに、エリックを拷問した日本の憲兵、永瀬(真田広之)がかつて自分たちが暮らしていた収容所(今は博物館になっている)に戻って暮らしていることを教え、その後自殺。エリックは永瀬と対決すべく、単身タイへ赴く…というのがストーリー。

 実話が元とはいえちょっと端折ったり強引に演出をすすめているところも見受けられるが、主演の役者たちの芝居を見ているだけで大満足だった。エリックを演じるコリン・ファースは、心の病がいったん恋で快方に→悪化→対決→快方にという経緯を、微妙な表情の変化でとてもうまく表現している(ただ結婚後にいきなり悪化するところとかはちょっと端折りすぎで、これは演出や編集の問題だと思うのだが)。永瀬役の真田広之も、過去の経験に苦しむ戦争犯罪人の役とか大変だと思うのだが、非常に薄っぺらくなりそうな役柄に人間らしさを与えていると思う。この二人が対決する場面の緊張感と、双方が見せる傷つきやすさはなかなか見応えがある(すごい嫌な感じの見応えとも言えるが)。結末は「そんなに早く赦しちゃっていいのか」とも思ったので、もう少し丁寧な編集・演出があったほうがよかったんではないかと思うが…

 一番すごいと思ったのはニコール・キッドマンで、スターっぽいオーラを消して、キレイだけどそこらへんにいそうで、それでいて芯の強い女性の役を非常に自然に見せている。このパトリシアの役は、戦争というものに見受けられる悪しきマスキュリニティの発露を相対化するような役どころだという点でも重要だと思うのだが、その点、キッドマンがスカルスガルド演じるフィンリーに「私の夫には人生を取り戻してもらう」と宣言する場面は非常に良かった。フィンリーもエリックも、あれだけ辛いめにあったのにそのことを全く口に出さない。エリックが最後のほうで永瀬と対決する最中にボソっと「だって、誰も信じないし…」みたいなことを言うところがあって、これは「あまりにもつらいめにあった人はその経験を言語化できない」+「世間は戦争でつらいめにあった人に冷たい」のダブルパンチが人を苦しめるということを示していると思うし、その点エリックが誰にも苦しい体験を告白できなかったというのは性別かかわりなくよくあることではある。しかしながら前半部分のエリックとフィンリーのつらい体験に対する対処は、「男には黙って耐えないといけない時がある」みたいな変なマスキュリニティにとらわれてそのせいでどんどん症状が悪化し、周りの人に対して虐待的に振る舞う、みたいな感じで、誰にでもあるような「言えない」という苦しみ以上に「自分は軍人で男らしいのだから」というこだわりによって癒やしが阻まれている部分があるように見える。しかしながらパトリシアがエリックに対峙したおかげでエリックは自分の苦しみに対処できるようになり、最後は永瀬ともども涙を流すという一見「男らしくない」行動によって癒やしを得ることができる。こういうところを見ていると、出番は少ないがキッドマンはすごく重要な役だし、また印象的な演技をしていると思った。

 もうひとつ思ったのは、前エントリの『ドストエフスキーと愛に生きる』にも通じるが、外国語がわかるというのは辛いことだ、ということである。正直、永瀬の役どころは戦争犯罪人なのに「ただの通訳ですから」と言い逃れして刑を免れたということで全然同情する余地がないと思うのだが、一方で考えることを教えてもらわずに道具としての外国語だけを頑張るとこういう人間になってしまうのか…ということがひしひしと伝わってくるキャラクターで、そこが面白いとも言える。永瀬はエリックに「教育があるのにあんなひどいことをした」となじられているがまさにそのとおりで、この永瀬という人は、英語がわかるのに自分で英語を用いて情報収集しようとか情報の信憑性を自分で考えて判断しようとは全く思わず、軍部の情報を鵜呑みにして、エリックがラジオで得た情報を拷問で聞き出した時に「実は日本負けてる」ということを知って唖然とする。つまりこの人は、技術を身につけているのにその技術をどう使うべきか全く考えておらず、自分は責任を負わなくても良い立場で他人の話すことを別の人に伝える仕事だけやってればいいと思っていたような人で、ゆえに戦争犯罪を犯すようなことになってしまったわけである。これは去年の『ハンナ・アーレント』とも共通するテーマだと思う。