祝祭悲劇的な演出〜幻想音楽劇『リア王−月と影の遠近法−』

 高円寺の座で幻想音楽劇『リア王−月と影の遠近法−』を見てきた。割合よかったのだが、風邪気味であまり集中できなかったのが個人的に残念。

 どぎつい化粧にアヴァンギャルドな衣装はまるで登場人物全員が人間ではなく変化のものであるかのようだし、歌や踊りをふんだんに取り入れているので全体的に祝祭悲劇的らしくなっており、そのあたりはかなり私の好みだった。ゴネリルだけ男優にしてリーガンは女優にするとか、道化は若い女優にしてコーデリアとの共通性を強調するとか、異性装を用いた演出にも特色がある。役者も歌ったり踊ったり実にエネルギッシュ。最後の道化とコーデリアが一緒に出てくるドリームヴィジョンみたいな場面は実に夢幻的で、エネルギッシュな本編を対照的な深い余韻でしめくくっていると思った。

 いくつか疑問だなと思ったのは台本のカットと引き延ばしのやり方。途中でひとつの場面が長い踊りにはさまれているような箇所がいくつかあったのだが、踊りを長くするとちょっと冗長な感じがするのでは…と思うところもあった。そのわりに最後の怒濤のクライマックスは、スピード感を出すためなのだろうがカットされすぎて台詞を楽しめないような気がしたので、もう少し踊りや殺陣(エドマンドが分身みたいに増えるところはちょっと冗長では?)を短くして最後のクライマックスをじっくり見せたほうがいいんじゃないだろうか。これは台詞回しにも言えることで、焦らずじっくり台詞をきかせる場面をもう少し増やしてもいいのではと思う。

 それから思ったのは、この芝居のエドマンドの台詞って傍白みたいに処理できるんだなということである。この演出ではエドガーを若い女優に囲ませて、エドガーの独白はこういう女優たちが次々に言ったりするという演出になっている。この演出の好みはさておき、いつも心に鬱屈を秘めているエドガーの発言を「心の声」みたいに処理するという点ではかなり効果があったかと思う。英国ルネサンスの芝居で傍白が多いといえば『チェンジリング』だが、そう言われると『リア王』と『チェンジリング』って雰囲気が似てないこともないかも。