ルネサンスのマインドパレス〜『知のミクロコスモス: 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』

 先週の科学史学会に行く前に準備としてようやくヒロ・ヒライ、小澤実編『知のミクロコスモス: 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』(中央公論社、2014)を読んだので、メモを簡単に。

 学問的伝統、キリスト教、生命観、西洋と日本の交流など、どちらかというと私が苦手な分野のものも多かったのだが、それでも十分面白かった。巻頭に掲載されている赤江雄一「語的一致と葛藤する説教理論家−中世後期の説教における聖書の引用」は非常にインパクトがあり、中世の説教の独特のレトリックを論じている…のだが、この「語的一致」というのがはっきり言ってワケわかんない概念で(理屈はわかるのだが「その理屈はおかしい」と言いたくなる)、なんか一見、コンコーダンス作りみたいな学問的営為を思わせるものなのだが、実は高い教育を受けていない説教者でも説教できるようにするマニュアル的な使い方をされていたそうで、非常に不可思議である。エリート主義的に見えるものが実は一般向け、というのは、ちょっと違うかもしれないがニュー・クリティシズムなどを思い出してしまった。

 二番目には桑木野幸司「記憶術と叡智の家−ルネサンスの黄昏における伝統の変容」が収録されているのだが、これはルネサンスの記憶術の話…なんだけれども、これを読んで私が思い出すのはもちろんこれである。

 この本は全体的に「マインドパレス」っぽい作りになっているようにも思えるので、記憶術の論文が入っているのはふさわしいかもしれない。

 

 この他にも、この間の科学史学会に来ていた菊地原洋平さんの「ルネサンスにおける架空種族と怪物−貼るとマン・シェーデルの『年代記』から」は怪物の図版いっぱいで見ているだけで楽しいし、id:nikubetaさんはアリストテレス救済に乗り出しているし、いろいろ面白いところのたくさんある本である。とっつきやすくはないが、オススメだ。ちなみ私は思想系が苦手なのだが皆に「スピノザ主義者」と呼ばれているため、この本にのっている加藤嘉之さんの論文「スキャンダラスな神の概念−スピノザ哲学とネーデルラントの神学者たち」を読みながらメモを取ったのだが、余計意味不明になった。この惨状ではたぶんスピノザを自分で読んだほうがいい。

 ちなみに、本書についてはにくさんが長い書評を書いているので、そちらもどうぞ。
「葛藤する聖職者、笑うラブレー、反逆するガリレオ 『知のミクロコスモス 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』を読む」