絶世の美女がフェミニストになる時〜『パーディタ:メアリ・ロビンソンの生涯』

「情事の終わりが彼女をフェミニストにした」(ポーラ・バーン『パーディタ:メアリ・ロビンソンの生涯』、p. 480)

 ポーラ・バーン『パーディタ:メアリ・ロビンソンの生涯』桑子利男他訳(作品者、2012)を読んだ。

パーディタ――メアリ・ロビンソンの生涯
ポーラ・バー
作品社
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 18世紀末のロンドンで活躍した女優にしてスキャンダルの女王、王太子の恋人、ロマン主義の詩人、そしてフェミニストであったセレブリティ、メアリ・ロビンソンの伝記の邦訳である。メアリ・ロビンソンは最近、非常に注目されるようになった女性詩人なのだが、ゲインズバラのこの絵のモデルなので名前をきいたことがなくても顔を見たことがあるという人がいるかもしれない。

 ↑これは当たり役であるパーディタ(シェイクスピアの『冬物語』の翻案、『フロリゼルとパーディタ』のヒロイン)を演じた時のものである。

 メアリ・ロビンソンは絶世の美女でファッションリーダーであったため若い頃からモテモテであり、多数の恋人やパトロンがいた。中でも社交界を騒がせたのは遊び人の王太子ジョージ(のちのジョージ四世、『ブラックアダー』第四シーズンでヒュー・ローリーが演じていたアホ)との恋である。美貌と才気だけを武器にぱっとしない生まれからロンドンのスターにのし上がるロビンソンは、肉体を武器に一攫千金を狙うアンナ・ニコール・スミスやケイティ・プライスなんかを思い出させるところがある、今でもおなじみのキャラである。当時の批評を読むとロビンソンは本当に演技の才能があったらしいのだが、スキャンダルまみれの暮らしで舞台から退いていたり、またまた文筆業が忙しくなったりしたせいで舞台のスターとして後世に名を残すことはできなかった。

 ところがメアリ・ロビンソンはたくさんの男たちとのスキャンダルに巻き込まれるセレブリティ生活を送った後、様々な苦労に見舞われ、フェミニスト的な文人として再出発する。バナスター・タールトンとの恋が苦々しく終わった後、メアリ・ウルストンクラフトの影響を受けてロビンソンが女性の権利を訴えるような著作を書き始めたことについて、著者のバーンは上で引用したように「情事の終わりが彼女をフェミニストにした」と書いている。ロビンソンの書くものを読んでいると、年をとっても非常に美人で才気に溢れていたらしいロビンソンがフェミニストになったのは、美貌ゆえに若い頃から男たちに引っ張りだこだったにもかかわらず、男たちを喜ばせると社会規範によって「娼婦」と断罪されるような状況、またまたどんなに頑張っていようと女は男の気まぐれ(もっとはっきり言うと、男性中心的な美醜の基準)に沿わないと生きていけない状況に嫌気がさしたからであるようだ。ロビンソンは1799年頃に書かれた『イギリスの女性たちへの手紙』に、こんなことを書いているらしい。

男性から見て望ましい相棒となれる女性は、たった三種類しかいない。美しい女性、淫らな女性、家事のうまい女性である−最初の女性は男の虚栄を満たしてくれる。第二の女性は楽しみのため。そして最後の女性は家庭の雑用を采配してくれるからである。考える女性は男を楽しませない。学問のある女性は、自分が劣等だと認めて男の自己愛にへつらうことをしない。そして真に才能のある女性は、その優秀さで男を見劣りさせてしまう。(p. 484)

 18世紀末のテキストだというのに、今書かれていてもおかしくないような指摘である。世間ではフェミニストというのはブスのひがみだ的なことを言う人がいまだにいるが、絶世の美女でも(いや、美女だからこそ男で苦労が多く、キレイであり続けないとというプレッシャーにも苦しむからというべきか)フェミニストになる。またまた、セクシーで派手な女性は何も考えてないと思われることがあるが、このロビンソンの伝記は、セクシーで派手でしかもインテリで頭が良い女性が既に18世紀の末にいて、政治的な議論や詩作などで活躍していたんだということを教えてくれる。シェイクスピアの再演やシェリダンなどロンドンの華やかな舞台関係の話、またまたコールリッジやゴドウィンとの文学的なつきあいの話なども出できて、英文学史やイギリス・ロマン派に興味がある人には実に面白い伝記である。