おっさんもおばさんも恋したい!〜オスカー・ワイルド『真面目が肝心』

 ハロルド・ピンター座でオスカー・ワイルドの『真面目が肝心』(The Importance of Being Earnest)を見てきた。言わずと知れたワイルドの大人気戯曲なのだが、意外なことに舞台では初めて見た。

 全く批評を読まずに行ったので、セッティングを見て「あれ、これモダナイズなん?ってかこの芝居ふつーモダナイズしないよね?だいたい『真面目が肝心』ってこんな郊外で始まる話じゃないよね?」と思ったんだが、始まるとあっと驚くような仕掛けがされていた。このルーシー・ベイリー版の演出は、中年〜高齢者くらいのアマチュア劇団が田舎の大きな家で『真面目が肝心』のリハーサルをするという枠があるのである。

 と、いうことで、ふつう『真面目が肝心』は若めの役者(あるいは、恋人役にふさわしいような役者)を投入して二組の恋人の抱腹絶倒すったもんだを描くという芝居なのだが、これはアルジャノンもジャックもグウェンドリンもセシリーも全員おっさんおばさんが演じる。ワイルドの芝居というのは英語圏ではアマチュア演劇の演目として大人気らしいので、それを考えるとこういう設定はなかなか面白いとも言えるし、「おっさんおばさんでも恋人役をやりたい!」という意欲をおもしろおかしく書いているという点でも良い。しかしながら一番の問題は、わざわざ役者が年食っていることに説明をつけたところである。基本的に演劇では上手で個性が役にあっていれば役者の年は関係ないと思うのだが(映画だときついだろうが)、このプロダクションではむしろこういう枠を設定して「役者が年食ってる」ことに理屈っぽい説明をつけてしまったぶん、もとの芝居が持っている「人間のアイデンティティは実にあやふやだ」というテーマの面白みがなくなってしまった気がする。『真面目が肝心』は私が知っている戯曲の中では最も不真面目なものなので、役者が年食ってることくらい、明示的な説明をつけなくてもたいしたことないんじゃないかとも思う。またまた『真面目が肝心』に限らずワイルドの芝居ははとにかく役者の「巧さ」が重要だと思うのだが、アマチュア演劇という設定にしてはやはりウェストエンドらしく役者が上手すぎるように見えるというのも別の問題かなぁと思う。

 枠の中では、小道具がなくなるとか、衣装の縫製が間に合わずに糸をつけたまんま役者が出てくるとか、いろいろなリハーサルらしい問題(!)はあるにせよけっこうきちんとワイルドをやっており、とくに後半部分は笑えるところがたくさんあったのでつまらないというわけではないのだが、やはりこれは演出のおかげというよりはワイルドの原作と役者の力のおかげという感じで、そこまで改変は生きてないなぁと思った。枠をつけてモダナイズするならもっと上手な方法があったのでは?と思う。