ポモセクシュアリティと歴史〜『ヒストリー・ボーイズ』

 けっこう前になるのだが、世田谷パブリックシアターでアラン・ベネット作、小川絵梨子演出『ヒストリー・ボーイズ』を見た。なんか私、この芝居を本で読んだ気がしていたのだが、見てみたら覚えがなかったので勘違いだったみたい…

 舞台は80年代シェフィールドのグラマースクール。男子校で、進学クラスの生徒を中心に展開する。生徒たちをオックスブリッジに進学させたい校長は受験のてこ入れ用代用教員としてアーウィンを雇うが、アーウィンは英語教員であるヴェテランのヘクターや歴史教員であるドロシー・リントットと教え方のスタイルがかなり違い、とくにヘクターとはモメたりする。生徒たちはアーウィンの教え方に戸惑いつつ、受験対策をするが…

 全体的にはすごくよくできた戯曲だと思うし、面白かった。しかしながらこの上演は台詞回しにちょっと難があったかなぁ…という印象を受けた。生徒役も先生役も調子悪かったのか、ちょっとトチったりもたついたりした箇所が多かったように思う。あと、やはり教員の権力と性的虐待を扱っていて、このあたりはかなり分析するのが難しく、原作読まなきゃと思った。ちょっと『バッド・エデュケーション』なんかを思わせるところもあるかも。

 これ、舞台になっているシェフィールドの高校の「地方の微妙な進学校」感があまりにも身に覚えがありすぎてちょっと冷静に見られないところがあった。私が通っていた高校も、東大京大に生徒を進学させるためものすごく力を入れていて、まあうちの学校は共学だったとかいろいろ違いはあるのだが全体的に雰囲気が似ている。とくにアーウィンが、優秀だが上流階級ではなく、田舎育ちで世間を知らない生徒たちに、「君たちは実際にイタリアの大聖堂を見てきたようなヤツらと入試で競うんだ」と脅されるところ、私も高校時代に日本史を選択した時「史跡が普通に見られたり、教科書に出てくる場所が近くにあるような本州の都会の進学校の連中と競うんだ」というようなことを言われた。国が違うのにここまで学校描写がリアルに感じられるっていうことは、実際にイングランドの田舎のグラマースクール行ってた人とかはすごいいたたまれない感じの芝居なんじゃないだろうか。

 もうひとつ見ていて思ったのが、この芝居に出てくるアーウィンについて、私は「こいつポモセクシャル(pomosexual)って呼びたい!」ということである。アーウィンはクローゼットなホモセクシャルなのだが、一方で歴史に対してかなり相対主義的というか「とにかく目先の変わった視点で切り込めばOK」みたいな教え方をしていて、あんまり節操があるとは思えない、まあ蔑称としての「ポモ」的歴史を教える教師として舞台に登場する(厳密な学術的態度と反省に基づくポストモダン的歴史記述っていうのはやってみる価値あるものだと思うのだが、一方で「事実とかわかんないしぃ〜おもしろいほうがいいしぃ〜」みたいな軽薄っぽいポモ歴史観は私は願い下げである)。芝居の中でも、女性の歴史教師として歴史の男性中心主義に批判的な目を持ちつつ、事実の掘り下げを愛しそれを生徒に教えようとするリントットは、アーウィンの仕事について「歴史学じゃない」というようなことを言う。たぶんこの「事実と向き合うよりはプレゼンテーションを大事にする」ところはアーウィンのクローゼットなセクシュアリティと関係していて、ハンサムな生徒のデイキンにホモセクシュアリティという事実を見抜かれて戸惑うアーウィン、学歴を詐称しているアーウィンというのは、悪い意味での「ポモな歴史屋」としてのアーウィンと、「事実に向き合えない」という点で共通しているのではないかと思う(別にクローゼットな同性愛者の人は事実と向き合っていない、とは私は全然思っていないしむしろ逆なのだが、この芝居のデイキンとの関係においては、アーウィンは事実に向き合っていないと思う)。だからpomosexual!とか呼んでしまったわけだが、この芝居を描写する以外、この言葉にはまったく使いどころがないので単なる言葉の無駄遣いだった。