記録する内心の正直と自由〜『悪童日記』

 『悪童日記』を見てきた。

 原作の小説は高校生くらいの時に読んだ覚えがあり、たぶん今まで読んだ小説の中では10指に入るくらい面白かった。ハンガリーの田舎の祖母の家に預けられた双子の少年が第二次世界大戦を生き延びる様子を描いた小説…というと成長物語みたいなのを想像するかもしれないし、まあそうとも言えるのだが、とにかくドライで全く感動ものとかではなく、汚い大人を脅迫したり生きるためには暴力も悪知恵も使ったり、まあ子どもを主人公にした一種のピカレスク小説である。

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)
アゴタ クリストフ
早川書房
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 映画版はかなり原作に忠実だが、おそらく短くするため原作の残虐描写とか複雑な話はいろいろカットされている。原作に比べるとかなり薄まっている印象があり、小説ほどではないかも。

 映画を見ていて面白いと思ったのは(まあ小説もそうなのだが)、この双子が記録魔であるというところである。原作はふたりの日記という設定なのだが、この映画も、子どもたちが両親に「起こったことは全部書きなさい」と言われて毎日日記をつける様子が織り込まれている。子どもたちはあらゆることを書き込むだけではなく、殺した虫とか、鶏の羽根とか、いろいろ証拠品を貼り付けたりもする。ドイツの侵略からソ連の侵攻まで、自由にものも言えないような時代を舞台にしているのだが、このふたりはまだ子どもでそういうことがわからないというのもあり、またまた日記はプライヴェートなものでなかなか人に見られないというのもあり、双子はものすごく率直に、またまた子ども特有の残酷さを持って非常に正直に日記をつけている。子どもたちはいろいろ悪事を行って警察に目をつけられたりするのだが、この日記が見つかって捕まったりすることはない。この子どもたちの日記は、圧迫を受けている時代にも監視の目が届かないところにある人々の内心の自由を暗示しており、さらに内心の自由というのは正直とか率直さにもつながるのだなと思った。ただ、この内心の自由は必ずしも明るいものではなく、時代の暗さに応じて暴力を振るったり悪知恵を働かせたりする自由である。この映画における内心の自由は正直だが非常に暴力的なものだ。

 しかしながら映画の最後、この双子は、自分に日記を与えた、つまりは内心の正直と自由を教えたはずの父親の死に直接つながるような行動をとる。そして二人は国境の東と西に別れて住むことにするわけだが、この場面はふたりが大人になり、子どもの率直さと決別したことを示しているのではないかな…と思った。原作にはまた続編があっていろいろなトリックがあるのでこういう解釈は無理だろうと思うのだが、映画はここで終わりなのでそういう解釈をしてもいいんじゃないかと思った。