非肉体の国のアリス〜『ルーシー』

 リュック・ベッソンとスカーレット・ジョハンソンの新作『ルーシー』を見た。とにかくくだらないという前評判だったので期待していったら、やっぱりくだらなかったが見てよかった。

 これ、とにかく話はくだらない。スカーレット・ジョハンソン演じる、台湾に住んでる留学生ルーシー(アウストラロピテクスのルーシーからとってるらしい)がボーイフレンドにヤバいブツを運ぶよう頼まれ、ホテルに持って行った…ところ、ルーシーはコリアンマフィアに拉致されて無理矢理新しい強力ドラッグの袋を腹に埋め込まれ、運び屋にさせられる。ところが途中のその袋が破け、ルーシーは強力ドラッグを思いがけず摂取してしまう…のだが、そのドラッグはふだん10%しか使ってない人間の脳を20%、30%…と強化する作用を持っていた。ところがこの薬はヤバすぎなのでルーシーは24時間くらいしか生きられない。そこで、ルーシーは脳の世界的研究者であるノーマン教授(茂木・フリーマン…じゃなかった、モーガン・フリーマン)に協力を求めるのだが、コリアンマフィアが追ってきて…

 とりあえず「人間は脳の10%しか使っていない」というのは神話であって科学的根拠が無いらしいのだが、これを茂木フリーマンが言うと異常に説得力がある(ホンモノの茂木なんかめじゃない説得力だ)。その後も「はい?」みたいなトンデモ科学ネタがどんどん出てくるのだが、茂木フリーマンが言うとどういうわけだか見るほうも興味が持続してしまうところが不思議だ。しかしながらモーガン・フリーマンはこういう「どう見てもツッコミどころだらけの話に無駄に説得力を与える」ために使われる場合が多すぎると思うので、モーガン・フリーマンをなんとか博士とか悪の組織のトップとか暗殺者集団のボスとかの役どころで起用するのを減らすためにハリウッドで内規を作ったほうがいいレベルかもしれない。さらに敵であるコリアンマフィアのボス役であるチェ・ミンシクがまるで韓国のゲイリー・オールドマンみたいで、「いやいくらなんでもこんな記号的マフィアはいないんじゃないのか…」と思ってしまう一方、やたら顔に力があるので「いやまあいいか」と思ってしまうところもあり、これまた無駄に説得力を増していたと思う。しかしベッソンって『TAXi』でも意味不明な韓国差別ネタをやってたけど、あれは何なん?何か韓国に恨みでもあるの?

 基本的にはこの企画はスカーレット・ジョハンソンありきのものである。ちょっと前の感想でも書いたが、映画の出来は大違いだけれどもジョハンソンの役は基本的に『her/世界でひとつの彼女』のサマンサと似ており、最後は結局非肉体化して遍在するコンピュータになってしまう。やっぱりこれはジョハンソンが輝くばかりに美しいにもかかわらず、生身の女の肉体感が希薄だってことによりかかって作られてる映画なんじゃないかと思う。体が崩れてきたり、タタリ神みたいなコンピュータになってもなんか見栄えがする女優さんなんてめったにいないだろう。一方でこのルーシーという女性は『不思議の国のアリス』のアリスみたいにいきなり意味わかんないワンダーランドに引き込まれ、さらにとんでもない不幸な目にあうのにどういうわけだかそれを乗り越えるということで、この映画は新約聖書聖母マリアや『千と千尋の神隠し』みたいな、少女がいきなり選ばれて理不尽な目に合わされる系の作品でもある。ドラッグで脳が開花する以前のルーシーというのはほとんど主体性のないなんかよくわからないくらい抽象化されてる美女で、まあこの映画におけるジョハンソンっていうのはやはり生身の女というよりは若々しい女性美の理想像的なものを象徴してるんだろうなーと思う。そういう映画はそんなに好きでは無いのだが、まあ監督ベッソンだし、そこにジョハンソンが来たらこういう映画を撮りたくなってもおかしくないのかもしれないな…