エミリー・マッチャー『ハウスワイフ2.0』森嶋マリ訳(文藝春秋、2014)を読んだ。
アメリカにおける、高学歴女性・キャリアのある女性の家庭回帰を扱ったルポである。最近、学歴あるミドルクラスあたりの女性が仕事を辞めて専業主婦になったり、農家になったり、家庭で小さいビジネスをやったりする傾向があり、これについていろいろ取材したい、というのがテーマだ。
とはいえ、これはかなり一筋縄ではいかない本である。いかにも「ハウスワイフ2.0」という言葉から想像しやすいような、外であくせく働くのに疲れたミドルクラスで、家で料理や農業や子育てを満喫し、手芸で小金を稼ぎつつその様子をブログにアップ…みたいな穏健な女性だけではなく、ヒッピーくずれのエコフェミ的な農業をやってる人とかDIY路線の編み物アクティヴィズムやってる活動家みたいな相当とんがった人から、レズビアンやゲイのカップルとか専業主夫、はては敬虔なモルモン教徒で昔から神の教えに従った家庭生活に驀進しています…みたいな「どこが2.0なんじゃ」というような人までいろんな家庭重視の動きを取材しているので、これむしろタイトルは『ハウスワイフ2.0』じゃなく原題のHomeward Boundのほうが良かったんじゃないかという気がしてくる。またまた出てくる事例1/3くらいはおそらくは厳密に言うと専業の「ハウスワイフ」としてすぐ思いつくのとはけっこう違う、つまり農業やってたりマイクロ起業みたいなことしてておそらく税金も申告しないといけないのであろう兼業主婦っぽい人が多い(本人が自分の職業はハウスワイフと自認してるんならまあこのタイトルで正しいと思うのだが、いったいこの人たち税金とかどうしてるんだろう、とは思ってしまった)。まあ、保守派から相当尖った革新派まで、アメリカでは非常に不思議な超党派の家庭回帰的動きがある、ということを取材したいというのがこの本のコンセプトなのだろうから、この一見とっちらかった感じもしょうがないのだとは思う。
全体的によく取材されたルポではあり、またフェミニズムを経験したライターとして、家庭回帰は個人がそれが一番良いと思って選択したものならいいことだと思うがいろいろ批判すべきところはたくさんある、という視点で書かれているのはバランスがとれている。とくに英語圏の保守派の歴史修正主義的アンチフェミニズムをきちんと批判しているところは高く評価できる。英語圏、とくにアメリカでは「アメリカ人の食生活が不健康なファストフードばかりになったのはフェミニズムのせいだ」という馬鹿げた陰謀論が流通しているらしいのだが、アメリカで缶詰その他のインスタント食品が普及した主要因は、第二次世界大戦に行われた軍人用レーションの開発事業によって食品加工技術が大幅に進歩したことだそうだ(p. 185)。戦争が終わってレーションを作らなくなった食品会社は、1940年代の末から60年代にかけて一般市場に活路を見いだし、新しい技術を使った缶詰などのイメージアップキャンペーンを行ったらしい。こうしたことはベティ・フリーダンが郊外の主婦の憂鬱を分析するはるか前に工業的要因で起こっていたことなのである(というか、そうやって家事が省力化されていったせいでフリーダンみたいな女性が家事の合間にものを書いたりする時間が増えたんではないかと思うんだが)。このあたりのアメリカにおける食品加工技術と戦争の関わりはむしろ本論より面白いかもしれないのだが、まあそんなに詳しく触れられているわけではない。こういう歴史的背景などをきちんと紹介しているのがこのルポのいいところだが、ただ惜しむらくは統計などの使用が少ない。シェリル・サンドバーグの『リーン・イン』がこれでもかと統計や新しい研究論文を使って説得的な議論を繰り出していたのに比べると、この本は統計の使用などが少なく、家庭回帰の動きが本当に大きなものなのか、それとも熱狂的な人々によって担われているが小規模な動きなのかがイマイチ見えてこない。
しかしながらこの本、書き手の技術とかとか全く関係ないところで、かなりヤバいと思えるところがたくさんあった。というのも、出てくる人の半分くらいはあらゆるものを一から手作りするTOKIOレベルのびっくり人間か、「私の考える変なアメリカ人」みたいな人ばっかりで、全然うらやましいとは思えないし正直どん引き…あまりにもアメリカの労働環境が悪いので(なんてったってこの国、国民皆保険もないんだからさ!日本よりむしろ労働環境が悪いよ!)、企業に仕えるより田舎にひっこんで子育てをしたいというのは無理もないことに見えるし、外で働きたくないから家庭生活に邁進するっていうのはそれは別に尊敬できる生き方の一種ではあると思う。中にはかなりフェミニスト的な意識を持っている人もおり、賛同するしないにかかわらず、フェミニズム的に家庭回帰をとらえる考え方があるっていうのは知的好奇心をそそるし、またフェミニズムの多様さを示すものでもある。しかしながら、どういうわけだか自分の生き方を肯定したいあまりにうざいまでの宣教モードに入っていたり、健康に問題が起こりそうなことをしている例がいくつか紹介されており、そういう人たちははっきり言ってできるかぎり個人的にお付き合いしたくない感じだ。
まず、220ページ前後で紹介されているシャノン。「仕事が好きだとかいう女性はそう思い込んでるだけだ」とか「フェミニストたるもの家庭に入るべきだ」的なことを言っており、余計なお世話としか言いようがない。仕事をやめて農業をやったり家庭に入ったりするであなたは幸せなんだろうが、他人も自分と同じことをしたら幸せになるに違いないと思うのは是非おやめいただきたいものだ。人間、男にも女にも向き不向きというのもがあり、料理を作って幸せな人もいればできるだけ家事なんかしないで学問や仕事をしてたほうが幸せだという人もいる。幸せは人によって違うのに、この調子で「他のヤツも家庭に入って農業やれば幸せなはずだ!」的に自分の生き方を押しつけてくるのは全く迷惑この上ない。ちょっと狂信じみてる。
しかしながらシャノンみたいなのは押しつけがましくてウザいだけで他人の健康に害を及ぼしていないからまだいいほうだ。とにかく市場に売ってるものが信用できないから全部一から手作りする、鶏やらヤギやら飼って徹底的に自給自足する、という人たちのことがこの本では紹介されていて、大部分はまともなのだが一部すごくヤバそうな人がいる。こういう人は日本にもいると思うのだが、この本に登場している人たちの特徴はとにかく政府を信用していないということだ。こういう政府も医者も信用できないから全部自分でやるっていうのは『ダラス・バイヤーズ・クラブ』なんかのテーマでもあって、アメリカの地方では昔からある政治的立場で、読んでいて日本の健康オタクとかなり違うという印象を受けた。とはいえ見た目はわりと日本にもいるような感じのフードファディズムが多く、息子のアスペルガー症の原因が食べ物だと信じて手作り料理をしている母親とか(p. 178。これ、ちゃんと療育やってんのかな?心配だよね?)、風呂場で自宅出産してる母親とか、自給自足にハマりすぎて低収入で無保険の一家とか、なんかともかく死ぬんなら自分だけにしてくれ、子どもの健康にはもう少し気を遣ってくれ、というような一家が時々出てくる。ううー…
と、いうことで、淡々と冷静に続く取材の中からアメリカの素っ頓狂なフードファディズム、反政府的自立心、他人に自分の生き方を押しつけないと死ぬ病気、などが垣間見える本であった。こういうすばらしい生き方をしている人たちとはできる限りお近づきになりたくないものである(一応補足しておくと、ここまで変な人はそう多く紹介されているわけではなくて、ほとんどはただ料理にハマってるとか手芸が好きとかいう善女善男である)。