神の恩寵は、誰にでも与えられるのか?『海をゆく者』(ネタバレあり)

 アイルランドの劇作家、コナー・マクファーソンの芝居『海をゆく者』をパルコ劇場で見てきた。2006年に初演された芝居である。コナー・マクファーソンの芝居を見るのはこれが初めて。

 舞台はクリスマスのダブリン郊外(海沿いのバルドイルとかいう地域で、街の中心部からはかなり離れている)。セットはクリスマスツリーが飾られた一般家庭の客間で、舞台からは見えないが奥にキッチン、お手洗い、裏口がある設定である。最近目が見えなくなった酔っ払いの老人リチャード(吉田鋼太郎)のところに、アル中で人生行き詰まっている弟シャーキー(平田満)が帰ってくる。いろいろあって、メガネをなくして困っているリチャードの友人アイヴァン(浅野和之)、シャーキーの元彼女アイリーンの現彼氏であるニッキー(大谷亮介)、ニッキーが連れてきた謎の男ロックハート(小日向文世)でポーカーをしてクリスマスを過ごすことになる。実はロックハートは悪魔(メフィストフェレス)で、25年前にシャーキーが浮浪者殺しでつかまった時にポーカーをした相手の男だった。シャーキーはロックハートにポーカーで勝って、それと引き替えに服役を免れさせてもらったのである。実はロックハートはポーカーに勝利してシャーキーの魂をもらうためにやってきたのであった。ポーカーの勝負はロックハートの勝利で終わり、シャーキーはロックハートについていこうと心を決める…が、そこでメガネをかけていなかったアイヴァンが盲目のリチャードのカードを読み間違えていたことが判明、リチャードとアイヴァンのチームが勝利していたことがわかる。ロックハートは帰っていき、シャーキーは魂をとられずにすんだ。

 全体に非常にキリスト教的な芝居である。ライトの調子が悪かったイエスの聖像に最後光が灯っていた、というセットの変化からも暗示されているが、これはシャーキーが神の恩寵によって救われるまでを描いた話と言ってよい。しかしながら見ていて観客が考えなければならないのは、シャーキーは本当に救われるべき人間であるのか、ということである。この芝居に出てくる男たちはみんな揃ってしょうもない連中だが、その中でもシャーキーは飛び抜けて悪いことをしてきた人間で、はっきり言って観客の同情をかきたてるような登場人物ではない。人をひとり殺して現世ではその罰を逃れており、アル中でそこらじゅうで暴力をふるい、昔の恋人アイリーンにもおそらくはとんでもない迷惑をかけている。さらにはそのことを反省せず、稼ぎは悪くて騒がしい性格だがきちんとアイリーンと子どもの面倒を見ているという点ではこの芝居で最もまともな判断力を持った大人であるニッキーに対して嫉妬に近い嫌悪を抱いているという点でもかなり人物が小さい。そんなろくでなしのシャーキーを見ていると、最後はロックハートに魂をとられちゃってもいいだろう…という気分になるのだが、そうはならず、神の救いが提示される。

 これはおそらく、盲目であるリチャードと、あとある程度まではメガネがないせいでほとんど何も見えてないアイヴァンは「見えない」という身体的不利と神の恩寵を受けている「無垢なる愚者」であり、こうした人々に愛されているせいでシャーキーは神の恩寵のおこぼれに預かることができた、ということなんだろうと思う。とくに劇中におけるリチャードの兄弟愛は大きな役割を果たしている。リチャードはとにかく臭くて酒ばかり飲んでいるしょうもないじいさんだが、心から弟のことを心配しており、神にお祈りをしたり、ケンカしつつも弟に気を遣ったりしている。リチャードは魂うんぬんのことは知らないが、ロックハートにボロ負けしたシャーキーを非常に心配して、かわりに自分が金を払ってやろうと何度も申し出る。リチャードは目が見えていないがそのぶん悪いことも見えない状態になっており、ある種の聖性を賦与されていると思う。一見愚かに見える人物が聖性を賦与されているというのは、同じアイルランドの最近の映画である『ダブリンの時計職人』や『あなたを抱きしめる日まで』にも共通して見られるモチーフだ。しかしシャーキーがこれ以上責任を人に転嫁することはできないと知って魂をロックハートに与えることに同意したあとに、アイヴァンのメガネが見つかってポーカーの手が変わり、シャーキーはロックハートに魂を渡さずにすむことになる。これはシャーキーが自分で罪を引き受けると決めた瞬間にリチャードの祈りが神に聞き届けられた(=シャーキーがリチャードの祈りにふさわしい人間になった)、ということなのだろうと思う。これは神が兄弟愛に対して与えた救いだ。ロックハートはシャーキーが神に愛されていると言って去って行くが、本当に神に愛されているのはシャーキーだけじゃなくリチャードもなのではないだろうか。

 全体的に達者な役者を揃えているので演技は申し分ないのだが、吉田鋼太郎のリチャードはもうちょっともごもごしててもいいかもしれないと思った。いつもどおりの聞き取りやすい台詞回しなのだが、アイルランドのおっさんだからむしろもうちょっと不明瞭なほうが雰囲気出たかも、とは思う(まあ、これは好みの問題だけど)。小日向文世ロックハートはたいへん良かった。しかし、悪魔とか死神ってどういうわけだかミドルクラス以上の服装をしているよねぇ…この芝居でもロックハートだけがミドルクラスっぽい服装と話し方で、あとの連中はワーキングクラスな感じである。