信仰に基づく、世にも不自由な自由恋愛の世界〜倉塚平『ユートピアと性−オナイダ・コミュニティの複合婚実験』

 倉塚平『ユートピアと性−オナイダ・コミュニティの複合婚実験』(中央公論新社、1990)を読んだ。これ、長らく絶版だったらしいのだが2月に新書として復刊されるらしい。良い本だったのでとてもオススメだ。

 これは19世紀の半ばにニューヨーク州オナイダに設立された宗教共同体「オナイダ・コミュニティ」についての研究書である。ジョン・ハンフリー・ノイズという男がリーダーになって作ったもので、キリスト教千年王国思想の一種なのだが、一般的に我々非キリスト者キリスト教の宗教団体として想像するものとはたいへんに異なっている。一言で言うと、ザミャーチンの古典SF『われら』を連想させるような、奇妙な性の管理に基づくユートピア/ディストピア的ヴィジョンを提示する共同体なのである。

 オナイダ・コミュニティにおいては複合婚というものが実践されていた。これは多夫多妻というか、コミュニティ内の男女が双方の同意を経て複数の相手と性交渉を持つとういうライフスタイルである。しかしながらこのコミュニティにおいては、たった1人の相手としか性交しなかったり、特別な恋愛感情で他の相手と結びついたりするような、いわゆる現世的な執着は厳しく禁じられており、つまり自由な恋愛関係は認められていないと言える。ちょっとした手続きが要求されたり、誰と誰が性交渉を持ったかが把握されていたり、若い女性に年長男性による初夜権が認められたりしているあたりには人権侵や性的虐待の一種とも言えるような厳しい性の管理があり、このコミュニティには恋愛の自由は一切ない。さらに子どもをむやみに作るのも禁止されているため、男性は基本的に射精が禁止で、「メイル・コンティネンス」とかいう中絶性交を行わなければならない(この中絶性交に失敗するとコミュニティではダメ男扱いされるそうだ)。コミュニティ内ではほとんどの男性はこの決まりに従うか少なくとも努力はしたそうで、この本を読んでいると所謂「男の本能」論がバカげて見えてくる…というか、この程度の努力規定でここまで性欲と性交のあり方が変わってしまうのかと驚き、改めて性欲というのは大部分が社会的産物なんだなとびっくりした。

 オナイダ・コミュニティはいろいろ性差別や虐待をはらんだ集団であったが、一方で19世紀の女性にとってはそれでも外よりはマシな環境だったらしい。まず、中絶性交によって女性は性的な満足を得ることができるが妊娠の不安はないということで、絶え間なく妊娠して消耗する可能性を恐れずに性的快楽を得ることができるようになったし、また万一メイル・コンティネンスの失敗などで妊娠しても外の世界のようにシングルマザーの烙印を押されることはなく、子どもを抱えて路頭に迷うようなことはなかった。一方で基本的に男性が女性の性を管理しており、年少のうちから長老(信仰のためとか言っているが、私にはエロジジイどもにしか見えない)と性交渉することを強いられたり、恋愛が許されず、子育てにも厳しい制限が加えられているあたりはかなり女性に対する人権侵害がある。労働の点においても、女性が責任ある仕事につくことができたり、外の社会ではできないような仕事を経験できたり、また安全な職場で働けるなどの利点があったようだが、それでも仕事場における女性の過小評価や過剰な保護、偏見などはあったようだ。

 またまたオナイダ・コミュニティの面白さは、信仰だけではなくこの団体には強固な経済的基盤があったという点にある。現在でも存在している銀器会社のオナイダ社はオナイダ・コミュニティが設立母体で、この工場で信者たち(後に信者以外の一般工員)が生産する銀器で儲けていたそうだ。ノイズの指導力低下や内部の紛争により信仰共同体が崩壊した後、ノイズの息子のひとりが会社を改革し、現在でもオナイダ社は残存しているらしい。

 著者にはいくぶん「女性は恋愛して子どもを産み育てたがるもの」という固定観念があるようだし、また性的虐待問題についてあまり突っ込んでいないあたりはかなり古い。とはいえ詳細な調査に基づいているしけっこう独創的な分析もあり、他の点では男性の女性に対する支配にも多層的・分析的な目を向けている。読み応えのある本であることは間違いない。