日本の女子教育の歴史を知る〜横浜開港資料館「ガールズ ビー アンビシャス!〜横浜山手のミッション・スクール〜」

 横浜開港資料館平成26年度第4回企画展示「ガールズ ビー アンビシャス!〜横浜山手のミッション・スクール〜」を見てきた。

 主に現在の横浜英和、横浜雙葉フェリス女学院、捜真、共立の前身となったような女子専門ミッションスクールの歴史をいろいろな史料から辿るというものである。教科書やノートのようなものから学籍簿、制服姿の女学生の写真、関東大震災の被害状況関連史料までいろいろなものが揃っている。ふつう、女子向けミッションスクールというとセーラー服というイメージが強いが、関東大震災の頃までは和装の制服が多かったそうで、セーラー服普及前の女学生のファッションをうかがわせる貴重な写真なども見ることができる。不平等条約の改正が失敗してアメリカ・ヨーロッパふうの教育に対する批判が起きたり、英語や宗教教育などふつうの女学校と違うカリキュラムをしていたりしたため、女子向けミッションスクールに対してはかなり風当たりが強い時期があったそうで、なんというかその頃の史料を見ていると、女子教育というのはいつの世もわからずやな連中に攻撃されるものなんだなと思った(マララ・ユスフザイがノーベル賞をとった時に起こったイチャモンを思い出した)。またまた高学歴女子を輩出してもそんなに仕事がなかったようで、こうしたミッションスクールを出た女性は家庭に入るか教育・保育関係の仕事につくのが一番多かったらしい。アメリカでも、女子教育の黎明期は名門女子大を卒業しても結婚するかセツルメントやるか以外に全然仕事がなかったらしいのだが、日本でも同じような状況だったんだな…