アリストパネス『女の平和』をドキュメンタリー演劇化〜空『リューシストラテ』

 横浜のArchiship Library & Cafe 吉田町で空による『リューシストラテ』を見てきた。アリストファネスの『女の平和』をもとにしたドキュメンタリー演劇で、いろいろな言語を話す2人の女優が、現代におけるさまざまな「女の平和」にまつわる活動のインタビューなどを読み上げていくというものである。

 とりあえずセックスストライキというのは『女の平和』という舞台芸術史上非常に影響力の大きい作品が元ネタとしてあるので、今でも世界各地で実施されている抗議行動である。女性が男性との性交渉を拒むというだけで既に女性は自分の性的決定権を行使しているわけであって男性中心主義的社会に対してはある種の脅威なのだろうし、また暴力をふるう男たちに対して「暴力はセクシーじゃない」ということをあからさまに伝えるという意味合いがある。2003年のリベリアではセックスストライキをちらつかせて女性たちが長期にわたる内戦に対する大規模なプロテストを組織し、これが和平交渉につながり、主催者のレイマ・ボウィノーベル賞を受賞するという実績(!)もある。このプロダクションでもレイマ・ボウィのインタビューが役者による読み上げで再現され、大きな扱いになっている。この他にコロンビアやベルギーのセックスストライキや、日本の「戦争ラブな男とはHしない女の会」、ろくでなし子などのインタビューも再現されている。「戦争ラブな男とはHしない女の会」が日本ではバカにされる以外の反応をほとんど引き起こさなかったことを考えると、これが古くからあり、さらに実績もある政治的プロテストの一種であるということを示す演劇が作られるというのはいいことだと思うし、野心的だ。

 しかしながら、見ていて思ったのは、全体的に作りがあまりにも「インタビューを読むだけ」で、あまり演劇的に面白いわけではないということである。また、ドキュメンタリー演劇でやるんならば元の言語のものだけは本人のインタビュー映像を用いて、通訳は役者がやるっていう形式のほうがいいのではないかと思う。というのも、この作品がいろんな言語を用いているというのは女性のいろいろな声を反映させたい、ある声が言語を超えて広がる影響力やさらに翻訳によって生じる変化を示唆したいというコンセプトに基づくものだと思うのだが、もともとの言語のメッセージまで役者がやってしまうとどうしてもニュースの劣化コピーになってしまい、むしろ最初に声をあげた女性の独創性が簒奪されているような印象を受けるからである。やり方によっては役者が全部読む方式でもうまくいくこともあるとは思うのだが、ちょっとこのプロダクションは仕組みがシンプルすぎて演劇性に乏しく、ただのコピー感が否めないと思った。

 また、教育的である以上の工夫がないのも物足りなかった点である。もうちょっと原作を取り込むとかしてけれんを付け加えたほうが面白いのではないかと思った。以前見た『驚愕の谷』もそうだが、知識を伝える系の演劇は詰め込みすぎて結局それだけで終わり、「人に考えさせる」というよりは「知識提供で終わり」になりがちなので、このプロダクションももうちょっと工夫をしたほうがいいのではないかと思った。