ガワーの語りにのせられて〜本多劇場『ペリクリーズ』

本多劇場加藤健一事務所『ペリクリーズ』を見た。たぶん『ペリクリーズ』は昔蜷川版を見たので二度目だと思う。『ペリクリーズ』は話がかなりとっちらかっているので大変な戯曲だと思うのだが、おとぎ話的な雰囲気や笑いを強調することで原作の強引な展開をうまく処理して面白く見せていたと思う。

 この『ペリクリーズ』の特徴はガワーがかなり語りの多くを支配しているということである。蜷川版では白石加代子市村正親がいろんな役をとっかえひっかえやる中でふたりでガワーを演じていたのだが、このプロダクションでは福井貴一がひとりでガワーを演じる他に二役くらいつとめており、孤高の語り手から芝居の内部に入る移行がかなりスムーズかつひょうきんな感じをもって演出されているので、まるでガワーが遍在するこの芝居の支配者みたいに見える。そのせいか全体的に、老詩人が子供たちの楽しみのために語るおとぎ話のようなファンタジー的な印象が生まれたと思う。美術や音楽、衣装が地中海的なのも、ヘタするとやたらエキゾチックになるだけだが、この演出でははるか昔に怒ったことであるということが強調されていたので、全体のおとぎ話ふうな雰囲気によく似合ってよかったと思う。セットは大きな布を使って舞台の一部を隠したり露わにしたりするというもので、こういう布を使う演出は最近けっこう流行っていると思うのだが、その中でもこの演出は「隠された真実が暴かれる」という全体のテーマに沿っているので布がとてもよく機能していたと思う。

 一方でけっこうこの『ペリクリーズ』には笑いが取り入れられており、そこも高評価だ。なんてったって人身売買の話でもあるので得てして暗くなりがちなマリーナと売春宿のシークエンスは、ブラックユーモアを含めた笑いを取り入れることであまりどよんとしすぎないよう処理されていたと思う。強引な展開もコミカルにすることで力業で処理しており、笑って許してしまえるところがある。

 ただ、『ペリクリーズ』に関してちょっと問題かもと思うのは、前の蜷川版もそうだが、セーザとマリーナがダブルキャストにされがちだっていうことである。これはひとりの女優に若い娘と成熟した王妃を演じさせるっていうことで面白みもあるし、また母娘の容貌の酷似も示せるというリアリティ志向の演出もできてそこはいいのだが、ただ最後の家族再会場面でマリーナを出せないっていう問題がある。蜷川版ではマリーナがヴェールをかぶって顔を隠した状態で出てきており、またこのプロダクションでは最後はマリーナを布のスクリーンへの投影図(!)にして誤魔化していたのだが、やっぱりこういうのはちょっと物足りないところがある。セーザとマリーナは別キャストでもいいんじゃないだろうか…