スポーツやってなくて良かったと思えるスポーツ映画〜『フォックスキャッチャー』

ベネット・ミラー監督の最新作『フォックスキャッチャー』を見てきた。

 この映画はデュポン財閥御曹司でレスリングのスポンサーだったジョン・E・デュポンが金メダリストのデイヴ・シュルツを射殺した実際の事件を(かなり変更も加えつつ)脚色したものだそうだ。孤独な大富豪ジョン(スティーヴ・カレル)は自分の農場にレスリングの練習場を作り、まずは金メダリストだが金銭的に困窮気味のマーク・シュルツ(チャニング・テイタム)を、さらにはその兄でありやはり金メダリストであるデイヴ(マーク・ラファロ)を呼び寄せ、チーム・フォックスキャッチャーと名付けて援助する。ところが三人の間では確執が生まれ、マークは出て行き、精神を病んだジョンはデイヴを殺害…ということになってしまう。

 この映画、とにかくスポーツをやってなくて良かったと思えるスポーツ映画である。普通、スポーツ映画というのはスポーツの危険性とか問題とかに触れているものでもスポーツの楽しさを描いていることが多いと思うのだが、この映画にはレスリングの魅力というものが全く描かれていない。出てくるレスリング選手のうち、いくぶんかでも楽しそうにスポーツやってるのはラファロ演じるデイヴだけで、そのせいで(というわけでもないのかもしれないが)ジョンに殺害されてしまう。マークを演じるチャニング・テイタムの演技はとても良いのだが、なんといってもあのいつもキラキラハンサムなテイタムがスポーツをやっているというのにまったく楽しそうではなく、魅力的でもないというのがすごい。マークは精神的に不安定で自信が無いという設定なので、テイタムはいつもの自信に満ちたイケメンオーラを一切消しており、そのせいでちっとも格好よく見えない。スティーヴ・カレルの怖い演技もすごいのだが、カレル演じるジョンも実はレスリング自体がワクワクするから好きというよりは、母親への対抗心や同性との親密な関係が築けない孤独のはけ口として男性間の接触が多いレスリングをやっているというような感じすらする。この映画におけるレスリングというのは基本的に男だけの均質かつ淀み気味のコミュニティで錬成される格闘技として描かれており、まさにホモソーシャルだがホモセクシュアルではない世界の産物である。主要人物の中で女性とつながる回路を持っているのは妻ナンシーと子どもたちがいる良き家庭人デイヴだけで、まるでその罰であるかのようにデイヴは殺されてしまう。この男性だけのつながりを重視する価値観はおそらく途中でジョンが表明し、マークも賛同している独善的な愛国主義を産んでおり、ジョンもマークもアメリカの理想を追い求めつつ結局は自分の選択肢を狭めて自らを苦しい道に追い込んでしまう。まあとにかくつらく苦しい戦いの物語なのである。

 あと、この映画はベクデル・テストをパスしないと思う。男性社会の問題を描いた作品なので、そもそも女性はデイヴの妻ナンシーとジョンの母以外、ほとんど出てこない。