男性の陰湿、女性の無垢〜NTライヴ『欲望という名の電車』

 NTライヴで『欲望という名の電車』を見た。去年の夏にヤング・ヴィックで行われた上演で、演出はベネディクト・アンドリュース。舞台上演でこの演目を見るのは始めてである。

 言わずと知れたテネシー・ウィリアムズの有名作なのであらすじは不要かもしれないが、一応書いておくと、舞台はニューオーリンズ。かつては名門の令嬢だったが今では貧しい女教師である中年の南部美人、ブランチ・デュボアが結婚して所帯を持っている妹のステラを訪ねてくる。ステラはポーランド系のワーキングクラスの男スタンリー・コワルスキと結婚していて妊娠中。荒っぽいスタンリーはお嬢様気分が抜けないブランチとうまくいかず、さまざまな衝突の末、ブランチの男まみれの過去をボーイフレンドのミッチにバラして婚約をご破算にする。妄想にとらわれたブランチはスタンリーにレイプされ、完全な狂気に陥る。ブランチが施設に連れて行かれることになって終わり。

 …と、いうことで、テネシー・ウィリアムズらしいいかにも人の嫌がることを進んでやる芝居である。セットは二部屋(バスルームつき)の白っぽい現代風な家で、壁はなく骨組みだけである。客席はセットを四方から取り囲むように設置されていて、中央でこのスケルトン家屋みたいなセットが回転する。壁がないので客席からは室内で起こる全てのアクションが見えるようになっており、さらに上演中に回転するのでいろいろな角度から見ることができる。セットも衣装も現代だが、台詞はほとんど変わっていないのでちょっとモダナイズのやり方に問題があるところもある。

 とりあえずこのプロダクションのメインはジリアン・アンダーソンが演じるブランチである。ブランチはいろいろ鼻持ちならないところがある女性で実生活では好きになれっこないと思うのだが、アンダーソンの演技には大げさで気取ったドラマクイーンらしさの中にも魅力と格のようなものがある。また、アンダーソンのブランチはすっかり成熟した中年女性なのにどこか少女らしいところがあり、長々とステラの前で夢を見ているかのように話す様子からすると、人格的には10代で最初の夫を失った頃からあまり成熟していないのかもしれない。さらに少なくともこの演出では、休憩前の前半までだとおそらくはブランチがいちばん「ふつう」の大人に見えるところところが面白い。妊娠しているステラをスタンリー(ベン・フォスター)が殴ったところで、ブランチは本気で動揺してステラはスタンリーのもとを出ていくべきだと主張するが、たぶん(この戯曲が書かれた当時はわからないが)今ならほとんどの女が同じことを言うだろう。妻を虐待した後で「ステーラ!!」とか言いながら半裸で泣いて謝るスタンリーは典型的なDV夫だし、「私たちは愛し合ってる」「よくあること」と言ってそれを許してしまうステラも典型的なバタードウーマンだ。昔の恋人に頼ろうとするブランチの対処法はちょっとおかしいが、それでもDV夫のところから妹を引き離さないといけないという基本的な考え自体は全く健全、というか大人の女なら誰でも思いつきそうなまともな発想だと思う。

 ところが後半になるとブランチの様子がどんどんおかしくなってくる。どうやらブランチは同性愛の夫を自殺に追い込んでしまって以来自己嫌悪でセックス中毒だったらしく、さらには自分の学校の生徒に手を出すというとんでもないことをして前に住んでいた街にいられなくなったらしい。さらに妄想と現実の区別もあやふやになってスタンリーにレイプされ、精神療養施設に入れられたブランチは、前半まではこの芝居の中でも欠点だらけではあれ一番まともな人間だったはずなのに、最後は一番狂気に蝕まれた人間になっている。しかしながら他の人間がブランチと反対に健康かというと全くそうではなく、ミッチは結局、見た目は紳士でもスタンリーと同じくモラハラ男であったことがわかったし、ステラは姉がレイプされたのに夫のもとから離れられない、抵抗することすら思いつかないほど精神的自律を奪われた妻になってしまった(これは救いがないが、ある意味ではリアルに世の中で起こっていることだ)。そんな中で威厳をかき集めて精神療養施設へゆっくりと歩いて行くアンダーソンのブランチは、実はこの芝居の中で最も精神的に立派だった人物なのかも…と思わせるところがある。

 もう一つこのプロダクションの面白さとして、男性の陰湿さと女性の無垢さが対比されているっていうのがあると想う。この上演の後半部分では、スタンリーは単に粗野な男というだけではなく非常に陰湿でもあるということがよくわかってくる。ベン・フォスターのスタンリーはいかにもマッチョで刺青だらけのたくましい男だが、筋肉と同じくらい狡猾さを持っており、ブランチが財産をくすねたのではないかと疑って弁護士に相談しようとしたり、ブランチの過去をかぎ回ったり、かなり腹黒く情報を操作するところがある。この陰湿さが一番出ていたのは最後のあたりで、ブランチをレイプする場面のスタンリーは「こうなるほかなかったんだ」というような自己正当化とともに一見丁寧にブランチをベッドに運んで行くし、また精神療養施設に旅立つブランチにゴミと化した紙のちょうちんを出してくるあたりは、悪い方向に頭を使ってないと思いつかないような残酷さがある。こういう陰湿なマッチョとしてのスタンリー、というのはおそらく原作にもある要素だと思うのだが、そこが女性たちのある意味で無垢な性格と強く対比されていると思った。このプロダクションでは、ヴァネッサ・カービーのステラは姉想いで人の悪口も言わないやさしい女だし、アンダーソンのブランチも過去を隠してはいるが、陰湿に人を陥れるよりはむしろなんでも率直に怒りにまかせて口にして(夫などの)他人を傷つけてしまう女である。筋肉男が爽やかで美女が陰湿だというステレオタイプは世の中にたくさんあるが、このプロダクションは全くそれと反対の演出をしているように思った。

 と、いうわけで、全体的にはとても面白かったのだが、ただモダナイズの処理、とくに電話・電報の扱いに問題があったと思う。「ポーみたいな家」と台詞で言っているのにセットが現代風でそれらしくないとか、スタンリーがヨーロッパで戦ってたというのが時代的におかしいとか、いろいろあるのだが、とくに残念なのが電話である。前半部分はコードレス受話器を持ってイライラ動くスタンリーの演出がとても効果的だったと思うのだが、後半部分ではコードレス電話の時代なのにブランチが交換手に電話をしてつないでくれと言ったり、もう緊急連絡手段としては使われていないはずの電報が届いたと思い込んだり、いろいろ時代設定とアクションがあわないところが出てくる。通信手段と交通手段は古典のモダナイズで一番問題になるところだと思うので、このあたりはもう少し気を遣ってほしかった。