万物の理論は愛ではない〜『博士と彼女のセオリー』(ネタバレあり)

 『博士と彼女のセオリー』を観てきた。

 ALSにかかりながらも理論物理学の研究を続けているスティーヴン・ホーキング博士と最初の妻ジェーン・ワイルドの愛を描いた伝記モノ…というと、『ビューティフル・マインド』みたいな、優秀な学者だが病気である夫に妻が献身的に尽くすアレを思い出してしまうし、途中まではちょっとそっちの路線に行きかけるのだが、途中から急にやたら現実的になり、『ビューティフル・マインド』よりずっと面白くなる(介護における女性の負担の描写とかはむしろ『母の眠り』なんかに近いかも)。この手の映画にしては「妻の献身」の描き方が全くステレオタイプにはまっておらず、基本的にホーキングの業績を描くよりは、介護負担やジェンダーバイアスを基軸に大人の男女の関係の変遷を描いた作品になっている。

 とりあえずこの映画は、介護や家庭生活を主題とした映画としてはジェンダー間の差異、つまり女性は男性の世話をすることを求められ、男のほうはすべてを学究や仕事に捧げることができるのに女のほうはそれが許されない、ということに対する妻の不満をかなりリアルに描いている。まず、エディ・レッドメイン演じるスティーヴンは、とにかく優秀なのだが所謂「男の見栄」にこだわるところがあり、他人、とくに女性である妻ジェーン(フェリシティ・ジョーンズ)に犠牲を払わせることを躊躇しない傲慢さがある。ジェーンも研究者でイベリア半島の中世詩歌の研究で博士号をとろうとしているのだが、余命わずかと診断されたスティーヴンと結婚し、子どもまで作って介護と子育ての暮らしに入ってしまったため、なかなか研究が進まない。自分の人生を持てず、家庭に全てを捧げることを強いられて精神的に限界になったジェーンはスティーヴンに誰かに助けてほしいと相談するのだが、「普通の家族」にこだわるスティーヴンは専門介護などを拒否。完全に参ってしまって心が弱ったジェーンは、地域にあるイングランド国教会聖歌隊の指導をしている音楽教師ジョナサンについよろめいてしまい、寡夫で孤独な上、困っている人を見ると放っておけない性格のジョナサンもジェーンを愛するようになってしまう。ここでぶっ飛んでるのは、スティーヴンがジョナサンを家族の一員のように家に入れて自分の世話をさせるところで、このあたりのレッドメインの、無垢で鈍感なフリをしつつ徹底的に他人に自分の世話をさせようとする人心操作男っぷりがなかなかすごい。大人しくて面白い人に見えてスティーヴンは実はモラハラ夫の資格十分なのである。

 さらにスティーヴンは、シャイなギークのように見えて実は相当な猛禽であり、ジェーンとジョナサンがいったん別れた後、専門的な介護に通じた看護師(兼秘書)として雇われたエレイン(マキシン・ピーク)を愛するようになり、結局ジェーンと別れることになる。ジェーンはジョナサンとよりを戻すが、別れた後もスティーヴンとジェーンは比較的親しい友人として連絡を取り合うようになる。スティーヴンとエレインがデキてしまうあたりのレッドメインの演技もとても面白く、自分の面倒を見てくれる頭のいい女性をとらえて離さない、スティーヴンの小悪魔ぶりがよく出ている。そういえば以前『福祉と贈与―全身性障害者・新田勲と介護者たち』っていう本を読んだんだが、これに出てくる新田勲さんも脳性マヒで、すごく頭が切れるんだけどモラハラ男寸前な感じだったな…


 全体的にこの映画は、愛は全てに打ち勝つわけではない、ということを描いた映画であると言えると思う。原題はThe Theory of Everything「万物の理論」だが、愛は万物の理論などでは全くないのである。さらにこの映画の面白いところは、「愛は全てに打ち勝つわけではないが、でもそれでいいじゃないか」というなんともいえないドライでリラックスした態度が後ろにあることだ。最初、ジェーンは結婚する前にスティーヴンの父フランク(サイモン・マクバーニー)に「スティーヴンの病状が悪いのに、これから苦労するということがよくわかってない」と注意され、それでも結婚する。ジェーンはある程度の覚悟はできていたのだろうが、それでもここまで家庭生活に全てを捧げさせられるとは思っていなかったのだろうし、また夫が病気だろうがなんだろうが片方が全部を犠牲にするような家庭生活は全く幸福なものとは言えない。そういうわけでジェーンとスティーヴンは別れることになるわけだが、最後のカットでは、カップルが愛し合って別れるのはまあ「万物の流転」の一部であってしょうがないことである、誰が悪いとかいうわけでもないし、大人同士過去の愛を経験として消化して生きていくのがポジティヴな人生だ、というようなことが暗示されていると思う。この映画を観ていると、若い恋人たちというのは勢いでくっついていつか別れてしまうものでそれはけっこうしょうがないんだから、片方が障害があるとか病気だとかいうことでとくに大変な覚悟をするよりも当たって砕けてみて、ダメなら罪悪感とかを感じずにきれいに別れたほうがいいんじゃないか、と思えてくる。

 なお、この映画はあまりホーキングの学術的業績を解説するようなことはしていないと思うし、映画の性質を考えるとそれが正しい選択だったのではと思う。研究だけではなく大学関連の描写はちょっと無理があると思えるところもあり、とくに口頭試問の描写はあり得ない感じである。宇宙とか時間についての学術研究って、少なくとも娯楽的な伝記映画で扱うにはかなり無理がある題材と感じた。その点、『博士と彼女のセオリー』にも名前が出たキップ・ソーンを迎えた『インターステラー』は、実はたぶんすごく頑張ってたんだな…
 

 なお、この映画はベクデル・テストをパスする。ジェーンが母のベリル(エミリー・ワトソン)に聖歌隊に入ることをすすめられる場面は、男性のことについてではないし、二人とも名前と人格のある登場人物だ。