乳搾り女哀史〜ポール・キンステッド『チーズと文明』

 ポール・キンステッド『チーズと文明』和田佐規子訳(築地書館、2013)を読んだ。

チーズと文明
チーズと文明
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ポール キンステッド
築地書館
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 チーズの歴史と現状を展望した本で、全体的にはとても読み応えのある作品だった。キンステッドはヴァーモント大学の栄養学部教授だそうで、歴史学者ではないので史料の扱いについてはちょっとツッコミが甘いかもなと思ったところもないわけではない。さらにこれは全く著者に責任がないことなのだが、この本はチーズを従来の説に従い南西アジアで発達したものとしているが、原著が出たあとでチーズの起源に関してより古い遺物がポーランドで見つかったそうなので、古代史については新しい情報で補わねばならないというところもある。しかしながらチーズの現況についての幅広い知識と分析とか、栄養についての議論は大変面白い。

 豊富なチーズの種類と製法や栄養の違いなども興味深いが、一番面白いのは、チーズ作りに従来従事してきたミルクメイド、つまり女性の乳搾り&チーズ作り職人たちの興隆と衰退についてかなりの説明があることである。中世以来、イングランドの農村では乳製品加工技術者として女性の職人たちが尊敬されてきたのだが、近代になると男性の技術者による工業力がもちこまれ(p. 240)、チーズの世界もどんどん男性優位になっていったらしい。一方、アメリカではアフリカ系の奴隷の女性にチーズ作りをさせていたといういくぶん暗い歴史があるそうだ。今まであまり注目されていなかった研究分野らしいのだが、ふつうは男性の奴隷を選んでたくさんプランテーションに置くのに、チーズに力を入れていたロードアイランドなどでは女性の奴隷を多数連れてきてチーズを作らせるのが盛んだったらしい(p. 271)。コネティカットでもそういうことが行われていた可能性があるそうで、今後研究がすすめばいろいろなことがわかってくるかもしれないということだ。

 この本の最後の部分は、現在、チーズが置かれている状況についての解説で、銘柄や種類などの分類、とくに一般名詞化したものと地元に根ざしたものをどう分けるか、というところに割かれている。一番問題になっているのは「チェダー」で、もともとはイングランドの地方名なのだが、現在はこれが世界中に広がって、とくにアメリカのヴァーモントチェダーなど伝統のあるものもあるので、こういうものをPDOで規制してしまうとチーズ文化への悪影響が…ということを指摘している。キンステッドはヴァーモント大学の先生だというアイデンティティを明らかにしてこのことを指摘しており、このあたりは地元に根ざしている一方、世界中で愛されているチーズ文化の広がりが感じられるところだ。