明日、そのまた明日も、メソッド役者はクズ〜『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

 『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』を見た。

 
 主人公は落ち目のハリウッドアクションスター、リーガン(マイケル・キートン)。かつて『バードマン』というシリーズで一世を風靡したがしばらくの間鳴かず飛ばずで、起死回生の一打としてブロードウェイに進出し、レイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』を自分で舞台化・主演して再起をはかろうとする。リハーサルで降板した俳優のかわりとして、共演者であるレスリー(ナオミ・ワッツ)の恋人マイク(エドワード・ノートン)が雇われるが、マイクは才能はあるがとんでもなくイヤな野郎。才能あるクズに脅かされ、初舞台で不安なリーガンは精神がどんどん不安定に…

 これ、舞台好きにとってはたまらない作品だと思う。基本的に劇場を動き回るリーガンや協働者たちの動きをほとんどワンショット(!)で撮っており、このコンセプトがむちゃくちゃ演劇的でまず心惹かれる。舞台と映画の最も大きな違いというのは舞台には狭義のショットの概念がないことだと思う。つまり、映画は短いコマが編集でつながれるが、一方で舞台は視点を固定して場面が継続するという決定的な違いがある。ところが、この映画は映画なのにショットの編集がほとんどなく、全部継続しているような撮り方になっている。私は常々、映画は記憶の芸術(人間の記憶は長い場面じゃなく、短い映像で構成されてる)だが舞台は進行形の人生についての芸術(人生はうんざりするほど継続している)だと思っているのだが、このほぼワンショットみたいにリーガンのボロボロライフを見せる『バードマン』はまさにどうしようもなく流れていってしまう進行形の人生についての作品だ。またまた、何日間かのことを描いているのにワンショット(つまり、実際の時間の経過とショット内での時間経過が一致してない)という大胆な時間の省略も、『オセロー』やら『冬物語』で起こるような舞台芸術的時間の圧縮に似ているように思うし、途中で一度カメラがほとんど何もない空を映したまま止まって朝が来る、という演出は舞台の暗転にそっくりだと思った。またまた、飛行機の中で見たのであまり注意を払えなかったところもあるのだが、全体的に不安と緊張がそのまんま表現されているような音の使い方、とくに即興ジャズみたいな音楽の使い方がとてもうまく、ワンショットで継続していく映画にぴったりの不穏な臨場感があったと思う。

 と、いうわけで、舞台好きにはたまらない作品であるわけなのだが、ただ個人的にこの映画が好きでたまらない点がもうひとつある。それは、この作品はメソッド役者はクズだということを前面に打ち出していることである。私はもともと舞台におけるメソッド演技やリアリズムを大変嫌っているのだが(それについてはこちらの『マリリン 7日間の恋』や『ブラック・スワン』のレビューでさんざん書いた)、この映画に出てくるメソッド演技代表であるエドワード・ノートンがとにかくイヤな野郎で、リアリティを追求するため舞台でうまくいってないガールフレンドのレスリーと無理矢理セックスしようとするなど(!)、とにかく人格に問題がありすぎる。このリアリティクズ野郎のマイクに精神的に圧迫され、バードマンの幻覚に取り憑かれるリーガンの姿はちょっと『ブラック・スワン』っぽいし、最後は「舞台でリアリティを追求する」という方向にいってしまうのだが、とにかく舞台に対する偏見まみれのひどい映画だった『ブラック・スワン』と『バードマン』の触感が非常に違う点は、最後のほうでリーガンの弁護士で親友であるジェイク(ザック・ガリフィアナキス)が出てくるあたりから、「やっぱりホントのことなんてつまんないよ」「ちょっとした夢が必要だよ」みたいなメタな視点が導入されていることである。リアリズム至上主義を一歩引いて相対化するようなシニカルな視点がこの映画には常にあると思う。

 またまたおそらくこの映画はいろいろな作品と関連があり、そのあたりも考えると面白そうだ。レイモンド・カーヴァーの小説はもちろん、作中では『マクベス』の有名な「明日、また明日…」という所謂「トゥモロー・スピーチ」が引用されており、目に見えない亡霊を見てしまうマクベスまぼろしに悩むリーガンの姿が巧妙に重ねられている。さらに「落ち目のアクションスターと人格に問題があるメソッド役者」というテーマは『トロピック・サンダー 史上最低の作戦』に似ているし、また全然知られてない映画だと思うのだが日本未公開のA Bunch Of Amateurs(『トーシロの集まり』)にも似ている(バート・レイノルズ演じる落ち目のハリウッドアクションスターが、宣伝のためUKで『リア王』のチャリティ公演に挑戦するが、いろいろ行き違いが…というバカコメディ)。このあたりと関連づけて考えるとさらに面白いかもしれない。あと、この間読んだこの本↓で「通常、映画ではドアを通り抜ける時は抜ける前と後でショットを分けるが、報道映像ではそうでもない」という議論があって、言われてみるとワンショットで通り抜け感を出している『バードマン』はちょっと報道映像に近いのかもとも思う。

 なお、この映画はたぶんベクデル・テストをパスしないのではないかと思う。レスリーとローラはかなり会話するのだが、だいたい男性のことで、演技やお互いの話になっても結局男性のことになってしまうからな…