正義よりも大切な、公正〜新国立劇場『ウィンズロウ・ボーイ』(ネタバレあり)

 テレンス・ラティガン作、鈴木裕美演出『ウィンズロウ・ボーイ』を新国立劇場で見てきた。

 本作は実際にあった事件をもとにしたものらしい。舞台はエドワーディアン期のロンドン。オズボーン士官学校に通っていたウィンズロウ家の末息子ロニーが盗難の疑いで退学になり、家に帰ってくる。息子が不当な扱いを受けたと憤ったウィンズロウ家の人々は、ロニーの父アーサーと姉キャサリンを中心にロニーに対する人権侵害を訴えようとさまざまな手を講じるが、事件は泥沼の裁判になり、ウィンズロウ家の人々は経済的に逼迫、キャサリンは婚約者にも逃げられて…

 これは1946年に初演された戯曲だそうだが、今でも古くなっていない。というか、演出も含めてかなり若々しい感じに作られているので、まるで最近書かれた時代もののお芝居ですと言われても通用しそうなくらい現代的だ。子どもが絡んだ事件にやたらに熱くなるメディアや、子どもの人権侵害なんかたいしたことではないと言ってウィンズロウ家をバカにする人たちなどの描写は、まあタブロイド紙をちょっと開けば今でも見られるようなリアルさが感じられる。

 しかしながらその分、古い感覚が目立ってしまうところもある。例えば女性記者が出てくるところはかなりミソジニーが露骨で、女性のジャーナリストをバカにしているところがあると思う。キャサリンが女性参政権運動家だというところは全体に効いており、とくに最後にキャサリンがサー・ロバートに「下院でお会いしましょう」というあたりのイギリスふうな皮肉はよくできているのだが、一方で全体的に今なら女性参政権運動をこうは描かないんじゃないかな…と思うところもいくつかあった(サー・ロバートが女性参政権反対なのに最後にああいうことを言うって、現代の芝居ならたぶん矛盾しすぎてると思われるからやらないよね)。また、メイドのヴァイオレットのコミカルな描写がちょっとたまに大仰すぎるように見えたのだが、あれは原作が使用人をああいうふうに描いているのか、それとも演出のせいなのかな…

 全体的なテーマとしては、英国社会においては正義の実現よりも公正の実現、つまり子どもにいたるまで人々の人権が正当な手続きによって守られることのほうが重要かつ困難である、ということだと思った。裁判に重きがおかれているところはコモンローのお国柄が出ており、またマグナカルタから昨日見た『パレードへようこそ』までえんえんと英国文化の中で反復されている「正当な手続きなしに市民を弾劾することは許されない」という思想が表れた作品でもある。こういう作品が、司法の権威に服さない政治家がうようよしている現代日本で上演されるというのは意味があることだと思うし、いろんな人に見て欲しい。