DIY女子のプリティ・イン・ブルー〜『シンデレラ』(ネタバレあり)

ディズニーを儲けさせるのはいやだいやだとは思いつつ、ケネス・ブラナーの『シンデレラ』を見てきた。

 お話はもちろんみんなが知ってるシンデレラで、ディズニーその他の皆が知っているおとぎ話版『シンデレラ』に入っている主なプロット要素、つまり継母によるヒロインの虐待、妖精の代母による魔法の助け、ヒロインの舞踏会デビューと王子との恋、ガラスの靴の紛失、靴によるヒロインの発見、といった要素は全て含まれている。一方で、大人がツッコミを入れそうなプロットの穴はほぼ全て入念に埋められている。これはふだんから飛躍やよくわからない点も多いようなシェイクスピアを含めた古典演劇をイノベーション(新解釈と技術革新)でねじふせる世界で暮らしているケネス・ブラナーらしい対応だと思った。辻褄が合わないところは全部調整し、さらに子どもの虐待や女性のエンパワーメントなども盛り込んできちんとモダナイズしている。
 とりあえずはストーリーを追いつつ、どういうところがきちんと辻褄あわせ・モダナイズされているかチェックしていこうと思う。例えばヒロインの父はいったいどういう事情で再婚した後早死にしたのか、という前史的な内容について、ヒロイン(リリー・ジェームズ。最初はエラという名前で呼ばれる)が若くして寡夫となった父親にいかに愛され、のびのびした環境で良い教育を受けていたかなどをきちんと描くことで、ヒロインが聡明な少女に育ったことを説明する一方、娘がそこそこ大人になったと思って第二の人生を始めようと再婚したらすぐ急死してしまうというお父さんの気の毒ぶりも強調するような作りにしている。ヒロインが使用人のような立場に追いやられるところも、父が亡くなった後生活が苦しくなった一家が使用人を解雇するほかはなくなり、継母と義理の姉ふたりは生活力ゼロで全く働かない人間なので、勤勉でたくましいエラが仕方なく家事を引き受けていった結果、どんどん継母と姉がそれを当然と思って増長し、えぐい虐待につながり、やがて灰まみれのエラ、シンデレラと呼ばれるように…という、おとぎ話といいながらも実は現在の家庭でもありそうなシビアな子ども虐待の話になっている。さらにヒロインと王子とは舞踏会の前に森で一度それとわからず出会っており、そのときはつらつとしたシンデレラことエラに一目惚れした王子が政略結婚の圧力(これがまたおとぎ話にちょっとした真実味を加えていていい味を出している)に悩みつつ、あのときの村娘が来ないかと思って舞踏会を開くという展開になっており、王子とエラはちゃんと対等な人間として恋愛しているので、大人が見ていてもそこまでアホらしさは感じない。エラは単なる受動的で泣いてばかりの女の子ではなく、虐待で活気を失ってはいるものの舞踏会に行くため自分でドレスを作るなど創造性があり、自由な精神を失わない勇気のある女性として描かれているし、また継母のトレメイン夫人(ケイト・ブランシェット)がかなり他人を精神的に支配するタイプの虐待母なので、エラが義母に逆らえなくなってしまうあたりはおとぎ話とはいえなんともいえないリアリティがある。さらに妖精の代母が出てくるあたりは非常に細かい辻褄合わせがあり、代母がカボチャとかねずみとか実際にそこらにあるものから作ったものは12時に魔法がとけるが、0から魔法で作った小さいものは永続するという設定になっていて、そのせいで古着をリメイクしたドレスは魔法がとけてしまうが、新品として魔女が作ったガラスの靴は永続する。靴によるヒロインの発見の筋はなかなかツッコミどころを減らすのが大変なところだったと思うが、靴が魔法の靴でエラにしかフィットしないこと、またエラが義母に監禁されて自分から王子に求愛できなかったことが示されており、最後に王子は見た瞬間エラを見分けて靴をはかせながら求婚するので、おとぎ話ふうではあるが話の筋はけっこうちゃんと通っている。こういうふうにひとつひとつプロットの穴をつぶしながらヒロインの性格に肉付けをしているので、 全体的には古典的なシンデレラ物語よりもはるかにヒロインであるエラの勇気と自由な精神、そしてそれを束縛する虐待のひどさが強調されている。

 しかしながらこういう映画なんか見たことあるな…と思ったのは、これ、学園映画、というかはっきり言って『プリティ・イン・ピンク 恋人たちの街角』にかなり似てると思う。エラが父子家庭で育ったところもそうだし、一番の類似はエラがDIY少女でピンクのドレスを自分でリメイクするところだ。母から受け継いだ裁縫セットを友とするエラは手先が器用でセンスもよく、クリエイティヴな女性で、お金がなければドレスくらいは自分で作ってしまう。このままピンクのドレスを着てったらまんま『プリティ・イン・ピンク』のモリー・リングウォルドじゃないか…と思ったら妖精の代母が出てきてドレスを超ゴージャスなブルーに変えてくれたので安心したが、エラのDIYへのこだわりは『プリティ・イン・ピンク』のアンディ(モリー・リングウォルド)直系だと思う。そう考えると、美人だけどアホないじわるな義理の姉さん二人の派手派手ファッションは学園映画のあまり頭が良くないスクールカースト上位女子みたいな好みで、エラの清楚だけどゴージャスなDIY趣味と対比されているし、一方で美人でとびきり賢くてそれでイジワルというトレメイン夫人のドレスは、それぞれ違ってはいるものの少女の領域にあるエラと姉たちのドレスとは一線を画したオトナの女王様ふうに作られている。全体的に、女性の創造性を称えつつかなり穏健なところに落ちるあたりも『プリティ・イン・ピンク』に似ているかもしれない。

 ちなみにこの映画にはおそらくもうひとつ参照されてる図像がある。エラが王子にブランコにのせてもらい、靴が脱げてしまうというこの映画で一番セクシーな場面はおそらくフラゴナールの「ぶらんこ」を参考にしてるだろう(これ、ロンドンのウォレス・コレクションにあるので、ケネス・ブラナーはじめUK出身のスタッフはたぶん何かの機会に絶対見たことあるはず)。フラゴナールのほうはオトナの不倫を描いたものだが、女の靴が脱げてしまって男がそれを拾うというのは、女の心が相手の男の手中にあることを暗示する。小さな秘密の花園でブランコが揺れるあの場面はたぶんこういうロココの絵画のエロティックかつロマンティックな雰囲気を大いに参考にしていると思われる。この映画は美術や衣装については本当にものすごく気を遣っているので、たぶんロココからヴィクトリアンまでいろいろなドレスや調度を参考にして作ったのだろう。

 キャストについては、古典的な美人というよりは個性的な愛嬌に富んだリリー・ジェームズは可愛く生き生きとしたシンデレラだし、ケイト・ブランシェットのいじわる継母はとにかくサイコーである。ヘレナ・ボナム・カーターは、ティム・バートンの映画より全然良い役だったのではと思うが、まあヘレナには魔女の役なんか朝飯前だろう。ケネス・ブラナーらしくこの映画は人種にこだわらないキャスティングを採用しているので、けっこう黒人の役者さんも出てくるのだが(舞踏会にはショナの王女がいたが)、清廉だがひょうきんで王子の腹心であるキャプテンを演じたノンソー・アノジーはなかなかコミカルで面白く、北欧風な顔つきで陰謀をめぐらすステラン・スカルスガルドと良い一対だった。また、デレク・ジャコビロブ・ブライドンがほんのちょっとだけ出ている。


 全体的にとにかくキレイで、話の筋もきちんと通っており、役者も良く、また昔風の受動的なシンデレラ像とは一線を画しているという点では面白く見ることができるのだが、まあとはいえけっこうオーセンティックなシンデレラではあるので、最後は王子さまと結婚して穏健なオチである。その点では私は1998年の『エバー・アフター』のほうがシンデレラの再解釈としては断然、好きなのだが…この『シンデレラ』が気に入った人は是非ドリュー・バリモアがヒロインで、レオナルド・ダ・ヴィンチまで出てくるコミカルだがロマンティックなシンデレラもの『エバー・アフター』も見て欲しい。
 

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追記:この映画は義母とエラの家事に関する会話などがあるのでベクデル・テストはクリアする。なお、エラが女友達とマーケットで話す場面もあってあそこは良い場面だが、父親のことを話すのでここではベクデル・テストはクリアしない。